7月18日。イギリス南部の西海岸から東のドーバーまで走るためにGPSをセットして、ブリストルの中心部から西海岸Pertisheadに向かう。約11キロほどで海岸に到着できる見込みだ。エイボン川の高速道路橋(M5)に併設されている自転車歩行者橋を渡る。この橋を降りたところにサイクリング道路があり、僕が走る方向も明示されているので安心した。ルート番号33のサイクリングパスに入ると所々に大きな水たまりがあった。快晴で風は冷たいが、まことに爽快。
突然、目の前に三菱の車がずらりと並べられているところに来た。ナンバーのない陸揚げされたばかりの輸入車だ。続いて反対側にはトヨタ車だ。コンパクトカーからランドクルーザーまで車種も多い。車の屋根には白いビニールが張られ、遠くにガントリークレーンも見える。かつて日本はサッチャーの圧力に屈してスコッチの関税を下げさせられたことがあったが、この光景を見るとそんなものじゃないことがわかる。ものすごい数の日本車が輸入され、この国の経済活動にも大きな影響を与えていることが実感できる。

高台の民家の屋根越しにアイリッシュ海が泥海のように見える。11時、西海岸に着く。ここでサウジアラビアの三菱のプロジェクトで20年間もタービン関係の仕事をしていたという男と出会う。彼の妻はインド女性という。いろんな人がいるものだ。サイクリングの始まりの標識らしきものはないが、ここから東海岸のドーバーに向けてスタートする。
エイボン沿いの自転車パスは快適だが、時々ものすごいぬかるみがある。ブリストルではサストラン本部を訪れ、資料を求めたり、"C2C"で集めたスタンプカードを提示してオリジナルTシャツなどを買い求める。近くのビルの壁面で大きな全英サイクリング網のモニュメントを見て、川端のレストランで休憩してから、ブリストル郊外の知人の家に向かう。今日の走行距離。63キロ。
7月19日。知人宅から一旦ブリストル市内に戻り、ルート4に乗ってバースを目指す。サストラン運動でもっとも最初に作られたというブリストルからバースへのルートだが、市内通過がわかりにくく、同方向に進んでいる中年カップルの後をついて進む。中心部をはずれたところにバースまで15マイルの標識。

サイクリング道路は木立のなかにあり、一般道路からは見えず、いわゆる廃線跡に作られた自転車パスだ。かつて鉄道の駅であった名残りのプラットホームやトンネルも残されている。1815年に造られた駅の待合室では、ちょっとした民間のスナック店が出ており、簡単な昼食を取る。ビーンズ・オン・トーストというその名の通りのものは、なかなかだった。
かつてのレールの一部や機関車なども残されており、その中の2キロほどの区間を利用して土日に蒸気機関車などを走らせている。このルートはさながら「鉄道博物館」だ。
イギリスの車はドイツと違い、自転車を見ても止まってくれない。日本と同じだ。バース着、14時半。
YMCAブリストルというホステルを確保。自転車は外に置いて鍵を掛けろというので、前輪を取り外して部屋に運びこんだ。夜はアイリッシュ・バブで伝統食のシチューを食べた。海鮮チャウダーも美味かった。早めに切り上げ、疲労回復にあてる。本日の走行は47キロとなった。

南部横断3日目(7月20日)。リーディングまでの中間点のハンガーフォードまで走りたいが、ここには宿がないので、手前の街まで走ることにする。残念ながら雨の出発となった。
ルートはレイルパスから運河沿いのパスに変わる。サストランのルートの典型はこうした既存の環境をうまく取り入れているところにある。早速、現れたのは運河に浮かぶナローボートで、停泊しているのもいるし、動いているのもいる。雨のなか所在なしげにぼーっとしているオーナーもいる。それがいいのだろう。ボートを持たない人や観光客のために雨のなかでも観光ボートが動いている。
ボートのオーナーも様々で、所帯道具一式を満載し難民と言った感じのものや、実際にそこで暮らしている雰囲気が伝わってくるもの、それに週末の遊びのための華麗なものなど、実に様々。
運河そのものは道路より、そして鉄道よりかなり高いところに造られ、自然の川のはるか上を通過している。小さな町モールトン通過。10時。

運河沿いの1メートルも満たない道には鴨の雛がいるし、白鳥もこの環境のなかで共存している。実際、パスの幅はわずか10センチのところもあった。これがロンドンまで通じているのである。
運河脇のナローボート停泊所には100艘以上のボートがひしめいていた。運河は閘門(こうもん)を利用して少しずつせり上がっている。ボートを操る人たちはボートを閘門に入れて後ろのゲートを締め、前のゲート下部にある水のドアを開けると水位が上がり、進行方向の運河と同じレベルになる。そこで前方のゲートを押し開きボートを通す。この繰り返しだ。ゲートは重いので大人の力が必要だが、水のドアの上げ下ろしは子どもでもハンドルを回すだけだ。実に優雅というか、のんびりしたものだ。こうして標高130メートルまでせり上がっている。
ナローボートはサイズにより異なるものの、通常のもので年間1000ポンド(約25万円)で免許がもらえ、運行できるという。

ルートは、ダブリースの街で一般道へと変わる。雨は激しく続いており、完全装備もいつしか濡れてくる。午後1時すぎに休憩したが、そのあとしばらく走ったところにB&Bを見つけて転がり込んだ。皮肉にも、宿に入ったとたんに雨は止んだ。
ここはPewsey
という小さな村だ。1818年に建てられたB&Bはパブの上にあり、床が少し傾いており、ドアの隙間から風も入り込んでくる。夏なのに暖房をしている。濡れたものを乾かし、洗濯してから久しぶりに風呂に入る。
運河だから水平かと思ったが、上りがあったとは意外。本日の走行、65キロ。
本日(7月21日)はロンドンの西側にあるレディング Reading
まで。
昨日の豪雨で1000軒の家が冠水し、一部の市民は仮の避難所で一夜を過ごし、60人がレスキュー隊に救出され、高速道路も一部浸水したという。
その後、豪雨の被害は広がり、35万軒が断水、5万カ所で停電するなど、60年ぶりの洪水被害となった。オックスフォードやウィンザーでも冠水したが、イギリス最長のセバン川や、僕が走っていたテームズの上中流で水が溢れでたというが、その通りだった。

運河と出合ったので入ってみたが、芝生だけで道はなかった。コースではないので走りにくく、3キロほどで離脱する。出発して20キロ、10時頃、ルート4の標識と出合う。ルートは運河に沿ってつかず離れずで、時には街のなかを通過している。
気持ちの良い森林公園のような丘の上、10月頃のような気候ですこし肌寒いが、走っているのでちょうど良い。
7人ほどの2家族と見受けられるサイクリストの集団と出合う。Newbury
手前の3マイル地点でルートは運河に戻る。ここから Reading までの距離は22マイル。現在の距離は36キロ、時間は11時。
Newbury
着は11:30、41キロ。かなりのにぎわいで、たくさんの観光客が憩っている。ナーローボートのような形をしたピザ…チーズ、黄色と赤のピーマン、椎茸、コーン、タマネギ、ケチャップ・・・は、なかなか美味。この街を過ぎても運河沿いのルートが続く。さながら水郷・柳川の雰囲気もある。
昨日の大雨で道路が冠水しているところも通りかかる。
Thatcham
の駅からまた運河に戻る。ロンドンまでは直線で98キロとなった。運河沿いの牧場の中を進んだところ20頭ほどの牛に進路ふさがれ、驚かさないようにゆっくりと避けながら無事やり過ごす。ところどころ運河があふれ、自転車パス越しに遊水地に流れたり、またはその逆で遊水池から運河に流れ込む水のためにパスはしばしば冠水している。その長さは300メートルを越えるところもあり、深さもペダルまで。傾斜がついていたり、かなりの早さで流れていたりするので、転んだらお仕舞いだと恐怖感もあった。時には小魚の群が先導してくれたりする。水中サイクリングだ。

Reading
着、3時15分、74キロ。ロンドンまでは80キロとなった。しかしツーリストセンターが閉鎖されており、宿探しに困る。パブに飛び込み、聞いてみるが、埒があかず、客に聞くと近くの安宿を教えてくれた。そこまでたどり着くまで何度も道をたづねる。ようやくたどりついたが満室だ。しかたないので近くの宿を紹介してと頼んだら、そこの客がつい目と鼻の先のB&B
Abbey
Lodgeを紹介してくれた。25ポンドと安く、朝食なし。部屋はこじんまりとしており、機能的。泥にまみれたリア・バゲージに気が引ける。4時20分。80キロ。

7月22日。いよいよロンドンに向かう。想像とはかなり違うルートでとても印象的。B&Bの3階の部屋の窓からはテームズ川の早い流れが見える。レディングからはこのテームス川をたどることになる。
早朝の気持ちよいテームズ川沿いを走り、レディング郊外の市街地をくねくねと抜ける。ルート4のサインを見落とさないようにしなければならない。
時にはA級道路の横を走ったり、高級住宅地の中を抜けることもある。そしてカントリーサイドへと続いている。ルートを見失い、ルートファンデングに切り替え一般道A4に乗るが、騒音がうるさい。
9時すぎ、ブラウンフィールド通過。朝食休憩後ルート4に戻り、高速道路M4を高架で横断する。
テームズ左岸に入る。「どろた」の滑りやすい悪路が長く続く。こんなところで転びたくない。そのことに神経を使い疲れてしまう。大きな橋を渡り右岸に入る。日曜日の静かな住宅街を抜け、草原の気持ちよい道に入る。広大なウインザー・グレートパークだ。たまにはこんな道もいい。大英帝国の象徴ウインザー城がはるかかなたに浮かびあがっている。
ヒースロー空港の南あたりで、またもやルートを見失い、GPSに切り替え。テームズ沿いの道に戻る。大きな橋を右岸から左岸に渡り、一般道を行く。ついに走行100キロを越える。
4時半、110キロ。ロンドン塔を過ぎ、ロンドンブリッジの近くでホステルSt.Christopher's
Inns をゲット。ひたすら訪ねまわった結果だが、シングルの2段ベッドの部屋は56ポンドと高い。やはりロンドン。
7月23日。ロンドン観光は昨年40キロほど市内を走りながら行ったので、今日はChatham
チャタムまで。ロンドンからドーバーまでのルートは "Garden of England Cycle Route"
と呼ばれており、文字通りイギリスの庭を旅することになる。
走りだしてからフロント泥除けの支え金具が脱落しているのに気づく。走行中の異音はこれだった。悪路の振動でアルミ製の泥除けがダメージを受け脱落したのだった。
今日は高曇りでうすら寒い。テームズ川沿いには大きな橋が何本も架かっており、川沿いの石畳は走りにくい。
Eveth
を過ぎてGravesend の町で昼食。3時。65キロ、B&BはSt.George Hotel
にチェックイン。40ポンドですこし高めだが、ロンドンのホステルより、格段の差だ。これで朝食付き1万円。日本のビジネスホテル並みだ。しかし設備と広さは比べものにならない。
街の案内パンフレットをめくってみると、僕が7月8日に北イングランドを目指していたころ、この街にツール・ド・フランスがやって来たという。パンフレットには200人の選手と4800人の関係者、2000台の車がやってくるとある。この日、ロンドンをスタートしたレースはカンタベリーにゴールしたという。明日の宿だ。僕が2日間かけて走るルートをツール・ド・フランスは1日でやってしまうわけだ。そんなこともあってか、沿道には「LONDON
Le Grand
Depart」と染めぬかれた幟がまだ残されていたし、パンフにはNCNのルート1なども紹介されていた。地元にとっても一大イベントというわけなのだ。
7月24日。朝方降っていた雨はあがった。今日はカンタベリーを目指す。短い距離なので、ルート1を辿ろうと思う。
ほとんど雲のない快晴の空の下を走っている。ようやくにしてルートに戻った。
Faversham
という小さな町でルートを訪ねたところ、もらった地図にはなんとツールドフランスのルートが印刷されており、僕のトラックと一部が重なった。つまりツールドフランスのルートにも乗り入れ入れたことになるわけで、光栄だ。

ついにイギリスの東海岸に到着。カンタベリーの手前の
Whitstable
という小さなリゾート地だ。ドーバー海峡の美しい海岸で休憩。12時、51キロ。
ここからは一転ダートのルートを辿る。よく整備されたダートでしかもほとんど平坦に近いので行き交うサイクリストも多かった。
こうして13時40分、カンタベリーのインフォメーションに到着。67キロ。近くのKIPPS
という小さな家庭的な雰囲気のホステルを予約して荷物と自転車をデポして街に戻り、カテドラルを見学した。イギリス国教の総本山といった歴史の重さを感じられる。王室とも確執があったという歴史をもっているという。内部の装飾の美しさはどこ教会も似たりよったりだが、ここではサービスと呼ばれるミサが行われており、うながされるままに入り込んだ。というより美しいパイプオルガンの音色に惹かれたのかもしれない。賛美歌とパイプオルガン、そして高い天井と装飾。これを見ていると、神の存在が現実であるかのように思ってしまう、そんな雰囲気がある。現実のさまざまな苦難を背負っている人々がこうした教会の雰囲気のなかで入信の動機をなることは容易に想像できることだ。
7月25日。日程は1日早く進んでいる。事故、怪我、悪天候、病気などのアクシデントがないためだ。
イギリスではどんな小さな町にもインフォメーションがあった。それは図書館であったり、カウンシルのオフィスだったりする場合もあるが、地図をはじめ各種の観光案内リーフレットが豊富にそろっているので感心してしまう。

いよいよドーバーを目指す。イギリス南部横断の最後の日だ。天候は晴。まことについている。
サイクリングルートは最初はダートだった道もだんだんとローカル道路になり、やがてプレストン着。10時、16キロ。長靴を履いたおばさんが買い物かごのようなものを持って歩いている。おそらく畑で野菜を採るのだろう。ひなびた村の表示はプレストンと彫られた木のレリーフだった。
サンドイッチ到着。10時50分。列車の汽笛がどこからともなく聞こえる。見渡すと遥かかなたに4両編成の列車が見える。とにかく広い牧場だ。
Deal 着は11時半。ここで昼食。南風がかなり強い。美しいリゾート海岸で小ぎれいなホテルが並んでいる。茶色の小石の浜が続いている。深いブルー、薄いブルーの海の色が美しい。紫の花、黄色の花、そしてグリーンも美しい。大人が揚げているカイトが狂ったように空を上下している。遠くにはヨーロッパに向かうフェリーがおぼろげに浮かんでいる。そして白亜の断崖絶壁だ。宮沢賢治の「イギリス海岸」とはまるで違う光景に目も眩む。断崖は70〜80メートルの高さから垂直に落ちている。その上は花々が咲き競う草原で一帯はトラストとして保護されている。そこを自転車を引きながら歩く。人間の踏みあとだけの小道なのでほとんど自転車には乗れない。一歩一歩、絶景を楽しみながらドーバーに近づく。はるかにフランスらしき陸地が見える。ドーバー着3時。61キロ。
直ちにインフォメーションでホステルを教えてもらい直行したが、5時から受け入れの張り紙があり、誰もいない。またインフォメーションに戻り、B&Bを紹介してもらい交渉。そのB&B
Maison Dieu
に荷物を預けてフェリー乗り場に行き、明日の便のチケットを購入。翌朝7時半にチェックカウンターに来いと女性社員に告げられる。とても広いフェリー乗り場で、状況のチェックと予約をしておいて良かった。これで12ポンドでドーバー海峡を越えることができる。
帰路、2〜300人と思われるサイクリストの集団と出合った。そのなかの夫婦連れに、「サイクリング大会でも」と聞いたところ、今朝ロンドンを発って、これからフェリーでフランスに渡り、3日後にパリを目指すのだという。みなさん軽身のレーサースタイルとはいえ、ツールドフランス並みの強行軍ではないか。ロンドン・パリ間のサイクリングというのもが現実に行われていることに驚く。3つのルートに分れているようで、係員がグループの整理に忙しそうだった。
港の浜辺では数人の男たちが楽しんだヨットを陸に引き上げていた。本日の走行68キロ。
こうして8日間におよんだイギリス南部の横断サイクリングは無事に終了。延べ走行距離は566キロとなった。”C2C”ルートと比べると、平坦地がほとんどだったが、60年ぶりの大水害と遭遇したことで、水没ルートやぬかるみダートが多く、泥んこサイクリングを経験したし、大ロンドン通過では、GPSが真価を発揮した。
インフォメーションセンターなどで宿泊情報などが簡単に入手でき、イギリスは旅行者への配慮が優れているという印象を受けた。