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北ドイツ、オランダの旅 2004/06/10〜20 舘 浩道

●はじめに
退職とほぼ同時に自転車を始めて、まる4年がたった。サイクリング専用のランドナーというタイプの自転車をオーダーして、多摩川や多摩丘陵などを走り、また利根川の源流部から河口の銚子までのロングランなど、国内の泊まりがけのサイクリングも何度か行い、趣味を同じくとする人々とも楽しみをわかちあい、この自転車の魅力にだんだんと取りつかれていった。
若い頃から趣味でった山スキーも続けたいところだが、真冬の八甲田連峰での暖冬による思わぬ悪雪で膝にかなり重大なダメージを与えてしまい、スキーで膝を酷使することができなくなったことも自転車にはまり込む動機となったように思う。

また環境問題に関心があったこともあり、地球サミットが開かれたブラジルや環境先進国のドイツにも出かけたことがあったが、とくにドイツやオランダでは、自転車のインフラが進んでおり、地球環境にやさしい自転車が大切にされているという印象をもっていた。
この自転車先進国の様子を見てみたいという思いにかられ、計画までこぎつけたのが、今回のドイツを中心とするツアーである。
自転車で見知らぬ国を旅することの面白さは、常々、旅行記で読んでいたし、一度は自分もと思ってはいたが、アフリカ大陸縦断やアジアの国巡りといった、半ば冒険という要素をともなった旅はとても無理であり、年齢相応の旅として今回のチャレンジとなった。
●航空輪行
自転車で海外旅行をするには現地で自転車を借りるか、日本から自転車を持ち出さなくてはならない。ドイツ・オランダの両国は自転車システムが世界一発達していると言われている国であるから、向こうで調達することも可能で、日本でいうところのママチャリのような貸自転車のほか、スポーツ用もあるらしいことがわかったが、もっとも重要な自転車のサイズは、日本人にあったサイズを探すのは大変だろう。それに荷物の固定方法の違いや、ブレーキシステムの相違も考えられる。そのほかサイクルメーターも使い慣れたものがいいので、日頃使い慣れた自分の自転車を持って行くのがベストだ。
結論がこうなったからには、海外に自転車を持ち出すという難問をクリアしなければならない。自転車は機内の貨物室のなかでつぶされ、部品が曲がったなどという報告がわりと多い。外国の航空会社の場合、とくに乱暴に扱われるというのは一般の旅行でもよくあることだ。
「エコノミー」の場合、貨物室に託送できる荷物は一人20kgまで無料なので、自転車はギリギリクリアできる。(ランドナー本体にリアキャリアやライトなどを取り付けているので現在の重さは13.5kg。リアバッグは3.3kg。それに工具の重量約1kgも入れて総重量は18kgとなった。2004/5/26計量)
だが、自転車の梱包は壊されないよう、厳重にする必要がある。痛めやすい個所は、フォークの先の「エンド」と呼ばれるところと、後輪のディレーラー部分なので、タイヤを外さないでフォークを抜いて分解し、ディレーラーをはさむかたちで車輪同士を重ねるように固定する方法を考えついた。タイヤはつけたままのほうがショックを吸収してくれるし、空気圧は低めにしてバーストを防ぐようにすればいい。ペダルも輪行袋を破ることがあるので、外しておく。タイヤを重ねる部分にエアマットやエアキャップをはさむ。フレームやブレーキの角にもエアキャップをあてる。輪行袋に入れるのだが、その内側と外側をエアキャップで包む。最後に「Fragile」などのタグを張る。こうして念入りな支度をして、宅急便で成田まで事前に送っておくわけだ。

機内に持ち込むのはフロントバッグとベストのみで、危険物と見なされる工具類はもちろん、自転車と一緒に荷造りする。
安売りチケットを購入すれば南廻りでかなり安く行けるが、途中のトランジットによる自転車の積みかえが考えられる。その危険を避けるために直行便を選ぶので、特別安く行けるわけではないが、早めの予約で往復12万円の航空輪行が可能となった。
●手荷物の支度
荷物はいつもの3〜4日の旅支度の延長で、できる限り少なくし、フロントバッグに収めてしまい、リアには輪行袋とレインウエアをつけるいつものスタイルとしたいが、どうしてもウエア類がかさばり、その結果フロントバッグが膨れ上がり、走行中にポコンポコンと踊りまくる。そこでかさばるものはリアにつけるため、リアバッグにベルクロテープを取付け、リアキャリアと4個所で固定できるように改良した。目からウロコの発想だ。テスト結果も上々。これに山用のザックカバーをかぶせ雨対策とする。
パスポート、現金などの貴重品はウエストバッグに入れないで、直接ベストのポケットに入れるようにした。支払いはクレジットカードとユーロを使い分ける。カメラや記録関係の機器類も最小限としてフロントバッグに入れる。
●地図の入手
未知の土地をサイクリングするときは、事前の下調べが欠かせない。国内でも同様だが、地図をはじめてとして、インターネットも含めて様々な情報が手に入る。地図が必要な場合は8000分の1の詳細図までインターネットで見ることができ、ルートを作るのも簡単にできてしまう。
これに比べ海外の場合はそう簡単にはゆかない。もちろんインターネットも使えないことはないが、ドイツ語やオランダ語はお手上げ状態だ。唯一、英語のサイトがないことはないが、少ないのが実状だ。それでも、サイクリングルートの概要程度のことは把握することができる。実際、今回のドイツのヴェーザー川とオランダ中央部のサイクリングルートはこうして、見つけ、決めることができた。
問題は、さらに詳細な情報である。日本で言えば登山などに用いる5万分の1の地形図とそれにホテル情報などが掲載された地図が必要なのだが、ドイツやオランダの文化センターに聞いても、日本で入手するのは困難だというし、ドイツをサイクリングした経験者に尋ねても、それは現地で入手するものだと言われてしまった。
そんなことはないと、さらにいろいろ調べ、両国でサイクリング地図を作成・販売している会社を突き止め、航空便で送ってくれるよう、それぞれの会社にFAXで依頼した。決済はクレジットカードで行うと明記し、カード番号も知らせた。結果は、出発の前日になってようやくドイツの地図が届いたのだった。ずいぶん気を揉ませたが、ギリギリにせよ届いたのだから、これほど嬉しいことはない。これでサイクリングの安全は保証されたも同然だ。
野村芳弘氏の『ドイツロマンチック街道ひとり旅』と、須山實氏の『時速15キロの旅』という2冊のドイツ自転車旅行の文献を読んだが、どちらもサイクリング地図の重要性を強調していた。事前に手に入れたほうがよいにこしたことはない。

●ハプニングが多い海外サイクリング
アメリカのワシントンD.C.に住んでいる父子が「1週間のオランダ自転車旅行」というタイトルで英語サイトに掲載している記録を読んだ。
これを読むと、いろいろなことが分かる。まず自転車だが、この人はアメリカからオランダに自転車を持ち込むのに、往復120ドルかかるというので現地のレンタルにしたそうだ。ボクらの場合は持ち込めるのに、どうしたのだろう。それにシーツや枕カバーを持つなど、荷物を持ちすぎている。時期は98年の5月で暖かくなる時期と書いているから、これはボクらも同じ。別のサイトでドイツに行った人は8月だったが、メルヘン街道はサイクリストで相当込みあっていると言っているので、やはり6月は正解だった。
先のアメリカ人父子はアムステルダムから北海に出て、海岸沿いにハーグまで南下し、ハーグから東にとり、ゴーダ、ユトレヒトを経て、そこから北上し、アムステルダムに戻るルートを走っている。このアメリカ人のルートの一部がボクらが予定しているルートと重なるところがあり、特に念入りに読んだ。そして教えられるところも多かった。
この人はジョン(John)さんというが、オランダをサイクリングに選んだ理由として、平坦なオランダは自称「若くない」ジョンさんにぴったり。そして英語が通じ、ジョンさんのようなサイクリスト向きの自転車インフラが完備しているからというのが、その理由だ。こまかなことでいえば、ジョンさんはMTB用のサイクリングシューズのほうが、観光地巡りもしやすいからと持ち物や服装についてもいろいろと検討している。そしていろいろ準備してみて、どうも持ちすぎだということが分かったりして、荷物を減らしている。それでもシーツは持っていって一度も使わなかったなどと書いている。持ち物選びはボクも同じような経験をしているので、面白かった。
また、レンタル自転車でたくさんの荷物をどうして運ぶかについても、いろいろ悩んでいる様子がわかるし、実際、毎日の荷物のホテルへの運び入れで随分と苦労している様子も書かれている。しかしこのあたりは、ボクのほうが経験がすこしあるみたいだ。ジョンさんに比べたら、ボクの荷物は超軽量級だ。ボクの荷物は自転車が13.5kgで、フロントバッグは4.5kg、リアにつける簡単なバッグは2.5kgしかない。
宿は安くあげるためにユース会員になったという。これもボクと同じだ。しかし行く先々で宿がいろんな理由で取れない場合がある。そのために10km先まで探したり、来た道を戻ったり、そうとう苦労している様子も描かれている。
またサイクリングに不可欠な地図のことについては、一般の自動車用道路図ではサイクリング道路は省略されており、使えないこと。オランダの場合はVVV(フェーフェーフェー)と呼ばれている旅行案内所でサイクリング専用地図が購入できるとあるが、そのVVVがクローズしていたり、地図にあるはずのVVVが存在していなかったり、地図が置いていなかったりする場合が結構あり、地図なしで走り、そのルートの途中でようやく入手できたということもあったようだ。
さらに、特に問題なのは、専用地図を常にチェックして走っていても、かなりの頻度でルート通りに走れずに迷ってしまう場合があるということも分かった。これは、サイクリングパスが四方八達していて、知らない間に別ルートに入ってしまうことがあるようだ。方向を示す標識が完備されているようだが、こういうことが毎日といっていいほど起きている。ジョンさんはコンパスを持たないで走り、だいたいの方向は太陽の影で判断すると書いているが、曇りや小雨のなかを走っているので第六感は役に立たなかったようだ。

オランダのサイクリングパスそのものについてはあまり記述がないが、玉石が多い道でもレンタルの細いタイヤはよく耐えたという表現があり、ジョンさんの息子が、もう玉砂利の道は見たくないと言っているので、オランダのサイクリングパスは網の目のように発達しているものの、舗装状態はあまり良くないようだ。これは、かなり重要な情報で、舗装してないと一日に走れる距離は極端に短くなる。実際、ジョンさんたちはレンタルなので、サイクルメーターは付いていないが、およそ一日につき最長で60kmほど走ったものと推測できる。
●ホテル確保の面白さと難しさ
なるべく安くあげようと、「地球の歩き方」に載っている安ホテルを予約するよう旅行会社に依頼すると、あっさり断ってくる。理由は儲けにならないのと、国際決済ネットに小さなホテルは登録されていないからのようだ。
そこで、「地球の歩き方」お奨めの安ホテルの予約に挑戦。英文フォーマットを作成し、宿泊日などの個人情報を記入してFAXしたら、実にさまざまな反応があった。幾つかは満室で断られたが、ただちにFAXで「確認しました」などと返してくる。
しかし今回は、そのガイドブックにも紹介されていないルートを走るので、ルート上のホテルも確保しなければならない。
日本から「地球の歩き方」にも掲載されていないような田舎の宿泊先を確保するのはなかなか難しい。まず、最寄りの都市にある観光センターのようなところにたいし、目指す田舎の宿泊施設を紹介してほしいと頼んでみた。
ハメルンにあるツーリストビューローにたいし、ニエンブルグという田舎町の宿を頼んだところ、3日後にニエンブルグのホテルから予約できましたとFAXが届いた。
ロッテルダムのユースホテルにたいし予約を入れたら、別のホテルからカードナンバーを知らせろと求められ、ためらっていたら早くしろとe-mailがあり、名前を変えたのかと問い合わせると、そうだとの返事。あわててカードナンバーをFAXし、予約を入れたら、ツインの部屋はお抱え運転手のためにとってあるので、4人ベッドの部屋を薦める。それでもいいのなら2週間前にコンタクトを取れと言ってきた。それならそうと早く言えともいえないし、「分かったよ」と返事する。
さらに究極の安上がり宿泊法はユースホステルを利用することである。余暇の考え方が進んでいて、旅行者に安く宿泊施設を提供することができるドイツのユースホステルはその数も多く、ドイツ国内の観光地の至る所に存在しており、すぐれた立地だけでなく、簡素で清潔なところは個人のペンションにも劣らない。利用できるものなら積極的に利用しようと、今回初めて日本ユースホステル協会(
http://www.jyh.or.jp)を通じてユースホステルのにわか会員となった。といっても手続きは至って簡単で、ネットで申込み、セブン-イレブンで支払うだけだ(年登録料:2,500円
送料+手数料:400円)。
こうして現地9泊の予定のところ、出発までに8泊の宿が取れた。
●1日目(6月10日/木) フランクフルトから列車移動
LH711便9:50発に乗るので日暮里発のスカイライナーの始発に乗れたが、途中山手線の信号機故障で、内周りがストップしていたので京浜東北を利用した。始発のスカイライナーは満席となり、今後は予約が必要だ。
成田で託送した自転車を受け取り、X線チェックを受けたが機械が小さいため、梱包を痛める。大型機械に変えて無事パス。計量は19kgだった。自転車を持ち込むことを事前に言っておけば大切に扱われるらしい。成田では出国カードの記入がなくなり、空港税も航空料金に含まれるなど、ちょっとした変化もあった。
すでに、ユーロ購入は地元の郵便局ですませているし、高度計と磁石つきの腕時計のみ7時間遅れの現地時間に合わせている。
ルフトハンザ機は少し遅れて離陸。この半年の準備がようやく実現してウイスキーで乾杯し、曝睡。ロンドンに行くといっていた窓際のNZの女性に席を替わってもらい、その席に離れて座っていた高橋君を座らせた。手荷物を自席に取り出そうとロッカーを開けたとたん、雑誌がどたどたと落ちてきた。ルフトハンザは万事大ざっぱだ。
機内では、高橋君にドイツのサイクリング地図を見せて、その説明などをして過ごした。この地図は単にサイクリングルートだけでなく、都市や地域別の索引があり、必要とする都市のホテルやインフォメーションセンターを簡単に探し出すことができる。今夜泊まることになっているカッセルのホテルも当然記載されており、地図上でおよその場所も特定できる。そのほか、いわゆる観光スポットもたやすく見つけだすことができ、その合理性とサービス精神には感服させられる。
途中、眼下に見たロシア北部は凍てついていたし、ヨーロッパ北部はまったく人気がなかった。
フランクフルトには雷雨のなか無事着陸(14:32)、気温は31度と相当高い。
自転車を航空機で輪行する今回のやりかたは基本的にはうまくいった。自転車はターンテーブルとは別のところからでてきた。
輪行袋の内と外側をエアクッションでくるみ、出っ張り部を保護するやりかたは正解だったが、空港内を移動中、自転車が下りのエスカレーターでカートから飛び出し、転げ落ちた。その際の衝撃か、ミラーがはがれ、チェーンがギアに食い込んだ。
僕の自転車のサイクルメーターは17002kmに達しているので、今回のスタート距離がわかりやすい。
着陸が25分も遅れため列車に乗るまであわてまくる。まず、空港のDBカウンターでドイツ国内を自由に乗ることのできるパスを有効にするための手続き「バリデート」をしてもらったが、これにはパスポートが必要だった。その後、地下鉄でフランクフルト中央駅まで移動。
中央駅では乗るべき列車のホームはどこかと聞きまくる。同時刻発の列車が隣同士に並んでおり、乗り込んだら違うと言われた。あわてて正しい列車に乗り込んだとたん、列車は音もなく発車した。あぁ、最初からスリル満点だ。

この列車はスイスのバーゼルから、ドイツ北部のキールまでの長距離を走る国際列車だった。車掌が検札にきてチェックし、カッセルは次だよと教えてくれた。2時間と少しの車窓からはドイツ中央部のなだらかな丘や平坦な森、そして牧草地と、たまに見かける放牧牛を見ていた。すべてすばらしい管理状態におかれ、人と農業の営みが自然のなかにとけ込んでいた。
カッセル駅は立派な駅だ。最近は新幹線も同じ線路を走り、同じ駅を使っている。改札口というものはなく、ホームのスロープを上がれば、そのまま街にでられる。
駅前で、雨がパラついてきたので、ホテルまでタクシーに乗った。黒人系のドライバーはいったん9.5eを請求しておきながら、こちらの財布を見てから、特別料金をふっかけてきたが聞こえないふりをして無視してやった。財布の中身を見られたのが失敗だった。彼には10e札を渡した。
静かな住宅街にある小さなホテル(Hotel garni Ko 78
)は、とても清潔。そのうえ安いからなんの問題もない。2つのベットとシャワーなどがついている。
玄関先で自転車を組み立てていいかと許可をもらってから、組み立てた。包装材「プチプチ」をゴミとして道路脇のゴミコンテナの横に置いた。高橋君の自転車の後部泥除けの支持棒ねじが折れており、修復不能状態だったので応急処置を助けた。
シャワーを浴びて街に繰り出した。午後の7時半だが、9時まで明るかった。カッセル(Kassel)は人口20万人で、メルヘン街道ではブレーメンに次ぐ大都市だ。ヘッセン州北部の政治・文化の中心でもある。
第2次大戦下、連合国軍の空爆で約80%が焦土と化した。街の東部をフルダ川が流れる。グリム兄弟が童話集をこの町で発刊したことなどで、街にはグリム兄弟広場と、彼らの家もある。市庁舎地下にはレストラン「ラーツケラー」があり、市民の人気となっているそうだが、今日は閉まっていた。
市内中心部の円形広場のレストランでベルギー系の白濁した小麦で作られたバイツェンビールを楽しんだ。ドイツ語がわからずサラミソーセージがたくさん出てきたのには参った。夕食は14e。高橋君はLRTにも興味があり、さかんにカメラを向けている。
ホテルに戻ってからは、旅行記録の整理に忙しい。最近のサイクリングでは、ルートや位置情報など、紙にメモするやり方から、すべてICボイスレコーダーに記録する方法に変えている。そのほうが走行中にできて手軽だからだ。メモならいちいち停止してポケットからペンとメモ帳を取り出してと、手間がかかるが、この方式はいたって簡単で、馴れると走りの連続性がたもたれて具合がいい。
このボイスレコーダーには約1日分のメモが記録できるので、その日のうちに電子情報化しておかないと、次の日には使えない。そこでボイスレコーダーを聞きながら、その日にあったことなどをケイタイに記録してゆく。ケイタイへの入力作業はすこぶる非効率なので、折り畳みキーボードをケイタイに接続して、あたかもパソコンの使い方のようにして入力する。この作業はアルコールが入っている疲れた身には応える。やがて眠くなり入力ミスを起こす。続きは翌朝だ。
●2日目(11日/金) 122km
さて、いよいよ今日からドイツ北部のサイクリングが始まる。
僕らの走るルートは、まずカッセルからハンミュンデンまでフルダ川沿いのサイクリングルートを走る。このルートは「フルダ川ルート」と呼ばれており、全長は195kmある。僕らは、そのルートの上流部分をほとんど割愛して、最後の部分40kmを走ることになる。

そしてフルダ川とヴェッラ川が合流して、名前をヴェーザー川と変える地点、ハンミュンデンの街からスタートするルート「ヴェーザー川ルート」を下流のブレーメンまで376km走る計画だ。このヴェーザー川ルートはさらに130kmほど続き、北海まで達する長いルートだが、今回は途中のブレーメンからオランダに列車で移動して、オランダ国内のサイクリングルートも走ろうという計画である。つまりドイツ国内は約400kmのサイクリングとなる。
カッセルのホテル(支払いは1人33e)を8時にスタート。
カッセルの街では自転車は専用のレーンがなく、一般道路の右端を走っている。中心部の繁華街では歩道を走っている人もあり、またトラムの軌道を走っているものもいる。この街では自転車交通について特別の扱いはないようで、南ドイツのフライブルグがしっかりした自転車専用道路をもっていたのとは対象的で、まるで日本そのものだ。自転車はどこを走ればいいのかと、とまどう。
しかし場所によっては広い歩道を2分割し、自転車を走らせているところもある。また場所によっては、車道に自転車道をラインで区切り、自転車を走らせている。カッセルの名所、森のような大きなカールス公園を抜けて、フルダ川と出会う。カッセル市役所前、9時、13km。まず、市役所横のインフォメーションセンターに行き、今夜の宿の確保が先決である。しかしここではカッセルのホテルしか案内しておらず、断られてしまった。まあ、なんとかなるだろう。早めにホクスターに到着して宿を探すしかない。ここで類似の地図を求めたが、「あなたの地図がベストよ」と言われてしまった。
サイクリングパスはいたるところに分岐があり、地図に忠実に走らないと迷ってしまう。フルダ川に沿ってカッセルを抜ける。サイクリングパスは舗装道路あり、ダートあり…ダートといってもよく整備されている。水たまりはほとんどみかけなかった。だいたい小砂利を敷いている…アンダーパスもあり、ウッドデッキもありで、なんとかパスを繋ごうとしている様子がよくわかる。フルダ川は深い流れでゆったりと流れている。遠くには風力発電の風車も見える。
自転車パスの標識にハンミュンデン方面との標識が出てほっとする。川幅は約25メートル。時々、鴨も泳いでいるし、カッセル付近では、ボートが数珠つなぎで係留されていた。自然保護区は鷹マークで示されており、野生のポピーも咲いてる。白鳥も泳いでおり、どこを走っても絵になっている。
ハプニングは突然やってくる。走り出して24km地点でパンクだ。岸辺の深い森のなかを走っているとき前輪がやられてしまった。ブレーキワイヤを解放して前輪を外し、タイヤからチューブを取り出し、予備のチューブと取り替え、空気を充填するのにおよそ15分。なんども経験している修理だ。横をドイツのグループが抜いてゆく。パンクはなおったが、ブレーキワイヤをかけ忘れたり、サイクルメーターの発信部とスポークに取り付けたマグネットの調整を忘れたりで、どうも時差ボケの影響があるみたいだ。
ルートは8人連れのグループや夫婦連れが、僕らと相前後して走っていたり、逆にフルダ川を遡る大集団もいたり、平日だというのに、フルダ川のサイクリングコースは結構にぎわっている。アカシアの甘い匂いがあたり一面に漂っている。パスの道幅は1.5mから2mはある。増水時の水流跡のレベルはパスのレベルまであり、そういうときはパスは使えないなと思ったりする。
ハンミュンデン着(11:00〜11:30、40km)。ハンミュンデン(Hann.-Munden)はメルヘン街道のなかで最も自然美に富む「自然公園都市」で人口2万人ほど。街中を3本の川が流れる。ヴェッラ川とフルダ川が合流し、ここで名前をヴェーザー川と変えて北に流れる。ミュンデンとは合流という意味だそうだ。旧市街には400軒余りの木組みの家が残され、ドイツ国内でも最も多いと言われている。17世紀の市庁舎も威厳に満ちている。この庁舎前では日曜日にはドイツではよく知られる藪医者物語「鉄髭博士」の野外劇も上演される。二つの川が合流し、名前を変えてヴェーザー川となるその中州の突端を見たり、ブルグのなかに入り「木組みの家」を見たりする。マルクト広場では花市が開かれていた。

ホクスターまで80kmの案内標識を発見。どうも今日の走行距離の取り方をあやまったようだ。おおまかな地図で判断したのがいけなかったようで、今日はたいへんな距離を稼がなくてはならない。これじゃ、日常の長距離走行と変わらず、観光に割ける時間がほとんどとれない。
ヘメルン着(12:00〜12:30、55km)。昼飯は田舎の「何でも屋」といった感じの店でケーキとアイスとジュースを買う(3.3e)。一面の麦畑と菜の花畑が展開する。ところどころパスが切れて、一般道を行く。僕らが走る右横をクルマが大きく反対車線に回り込み迂回してくれるので、日本の道路のように、すれすれをかすめて行くということはなく安心だ。
79km地点(13:50)で川にワイヤーロープを張った「渡し」に乗る(1.8e)。日本の船頭のようなオジサンが「操船」していたが、どうも足で桟橋を蹴るだけのような感じだったが、実際はよくわからなかった。
バートカールスハーフェン手前の悪路を行く(14:00、80km)。悪路というのは、どうもあたりの自然に合わせて舗装を変えているようだ。ここは深い森だからわざと舗装しないで、ダートのままにしているのだろう。日本にあるようなウッドチップ舗装というものはない、走りにくいからなのかもしれない。このあたり四万十川の風景に似ている。
バートカールスハーフェン(BadKarishafen)は17世紀末のバロック様式の白亜の街並みが美しい温泉保養地だが、通過(14:40、90km)。
続いて、べべルンゲン(15:10、99km)。
ここで立ち寄るべき名所フュルステンベルグ城(Furstenberg)は、川沿い右岸にあり、国内で有名な磁器「フュルステンベルグ焼」の工場があるところだ。この地方の領主ブラウンシュバイク・ルネブルグ公がマイセンに負けるなと、この城に製造工場を設置したという。現在、ドイツ国内屈指の窯業地で、国内最古の窯が現役で活躍しているという。王冠にF印の「フュルステンベルグ焼」はヨーロッパ中に高級陶磁器として知られている。周辺には現地直売もあるが、コーヒーセットひと揃いで3万円以上もする。高級陶磁器はヨーロッパでは「白い黄金」とも呼ばれている。しかし右岸に渡るべき「渡し」がなく、立ち寄ることはできなかった、残念。
走り始めてから100kmを示したのは15:18。遠くの丘に風力発電の風車が10基、ゆっくりと回っている。
ようやくのことでホクスター着(16:40、119km)。

ここホクスター(Hoxter)も人口4万人弱の木組みの町。14世紀にはハンザ同盟に加わり、ヴェーザー川の中継港として栄えた。街のインフォメーションセンターでホテルを紹介して欲しいと頼んだところ、ちょうど週末と重なってしまい、大変な込みようで、はじめは空室はないと断られた、しかしなんとか捜してみましょうと2〜3軒電話してくれて、わりと簡単に見つけてくれた。ラッキー。紹介してくれたホテルは、街の中心部から約2km離れた森の中の一軒家で、ヴェーザー川がよく見えるところ。なかなかのロケーションだ。
ホテルの名前はSteinkrug(17:00、122km)。まず部屋でパンクしたチューブにパッチを当てる。シャーワーのあと、食事はテラスでとる。隣に牧場があり、乗馬をたのしむ女性たちの様子も見えた。ヴェーザー川とは、すこし離れているが湾曲して静かに流れている。そこをカヌーが流れに身を任せて下ってゆく。
ソーセージと野菜たっぷりサラダとの組み合わせと、鱒のムニエルは美味かった。ビールはもちろん「バイツェン」。食後、森のなかを散歩する。うっそうとした森には巨木があり、地面は様々なツタや下草で覆われており、まるで白雪姫と7人のコビトの世界そのものだ。ヴェーザー川の岸辺に降りようとすると垂直に近い崖が現れ、あやうく転落するところだった。昔の川の浸食跡だろう。
●3日目(12日/土) 78km
朝4時。部屋から見たヴェーザー川は霧に覆われている。空にはまだら雲が広がり、その雲に朝日が反射してピンクに輝いている。カッコウも鳴いている。少し離れたところでは、白い馬と黒い馬がキスをしていたりする。気温は13度。シャクヤクが咲いている。
1泊2食のホテル代、夕食、ビール、水2本、あわせて48.5e。日本円なら6400円ほどだ。信じられない。
午前9時発と同時にしびしびと降ってきた。遠くで雷も鳴っている。街まで森の小道を抜ける。街に入ったとたん土砂降りだ。雨支度をして、しばし雨宿りのあとホクスターの街を見る。
雷が去り、小降りになったので、ホクスターをスタート。
途中雨宿りをしているサイクリングストも見かけたが、こちらは完全装備だから少々の雨も平気だ。支流スーメル川を渡る。雨が上がり、ホルスミンデンを通過(10:40、16.6km)。全くの田舎を走っている。
どこで雨宿りをしていたのか、10人のグループが先行しており、その轍がダートに残されている。すこし水たまりが出来ている。とても美しいパスが川にそって続く。ゴムボートを2隻つなげた上に小屋架けした筏に、何人か乗って下ってゆく。のどかだ。おおらかだ。(11:30、30km)。
Heinsenの手前で、ルートは川からはずれ、一般道に入り、川をショートカットしている。ドルメ村でサイクリスト専用の宿を見かけた。空き室ありの表示があり、自転車をモチーフにした看板やディスプレイが面白い。
風景の美しさにはしばし圧倒させられる。ゆるやかな丘陵に麦畑とポピーが帯状に広がり、背景には農家の小屋がレンガ色の屋根を乗せている。
ボーデンヴェーダー手前のモーターキャンプサイト、Weserhofで休憩(12:30〜13:30、44km)。ケーキとコーヒーで5e。「バイツェンビール2.7e」の表示があった。地元のサイクリストはみんな飲んでいる。スポーツ中と割り切っている人はいないようだ。雨が降ったり晴れたりと、天候はめまぐるしく変わる。曇りはない。このキャンプサイトにはシャーワー付きの大きなトイレもあった。
ボーデンヴェルダー(Bodenwerder)は「法螺吹き男爵」こと、ミュンヒハウゼンが生まれた(1720)街としてドイツ国内で有名。彼の生家は現在、町役場となっている。生家の前には彼の法螺話のひとつであるトルコ軍との戦いで下半身を切られた馬にまたがる彼の像と噴水があり、彼の法螺話は小学校の教材にも取りあげられているほどドイツの子どもたちには人気があるという。しかし、こちらとしては立ち寄る時間がない。
ボーデンヴェルダーを過ぎて、川沿いにサーカスの小屋が立っている。
森のなかを走っていると「homing」とかかれた標識がある。鳥の巣作りを見守ってやれということか。またもや四万十川に似たところを通過する。鳥のさえずり、入道雲、その向こうに青空、川の水は茶褐色、周りの木々は緑に輝いている。パスは雰囲気が変わって小砂利舗装となる。
中東のモスクのような変わったデザインのダスぺの城を対岸に望む。向かってくるサイクリストと交わす挨拶も忙しい。パスでは右側通行をみんな守っている。
突然、はるか向こうに原発が見えだした。盛んに水蒸気をあげている。すぐ隣の丘のうえでは風力発電の大きな風車が回っている。同じ視野のなかに収めることができるこの二つの存在は、今日のドイツの環境問題を象徴しているように見える。原発から撤退し、そして自然エネルギーに転換しようというドイツのエネルギー政策の今日の姿そのものではないか。
真近かで見る原発の巨大さには圧倒される。立ち上る水蒸気の影が建屋にゆらゆらと揺れている。原発の周囲は麦畑であり、牛が寝そべっていたり、キャンプサイトがあったり、まったくの田園風景が広がっている。日本人としては、かなり違和感があるが、地元のサイクリストは平気な顔で通りすぎてゆく。
ルート上に初めてゲートが現れた。大水の氾濫時には通行止めにするのだろう。2組のドイツ人夫婦とあい前後して走ることになったが、走りながら英語で話しかけてくる。日本のサイクリングコースはどうかなとか、その程度の話題だ。僕らが日本から持ち込んだ自転車には驚いていた。
そのうち、にわかに暗雲の襲来があり、波立つ川面の茶褐色の色がさらに深まってゆく。まもなくハメルンだ。

市内に入ったとたん激しい夕立。観光客はみんな傘をさしている。そのなかをインフォメーションセンターに駆け込む(15:40、74km)。
ここで自転車につけるエンブレムを見つける。ピンバッチの様なものだ。ルート地図も2種類売られており、高橋君も地図を買った。笛ふき男の笛や帽子、ヴェーザー川の絵地図などが売られている。ここで川沿いにあるこの街のユースホステルを確認し、ホステルへ(17:20、75km)。
ユースホステルjugend-herbergeの料金は34.2eで一人17.1eと格安だ。2段ベットと木製のロッカー。小さな机と背もたれのない椅子といった簡素な部屋。渡されたシーツや枕カバーをつける。シャワーは各階に1カ所。子ども連れの家族が中心で、なかには酔っぱらって深夜ご帰還の男もいて、僕らの部屋に間違って入ってきた。
マルクト広場に自転車で出かける。広場など人通りが多いところは自転車も進入禁止で、押し歩きだ。真っ青な青空のもと、教会の午後6時の鐘が響き渡る。その下で、早速バイツェンを飲む。フランクフルトソーセージにたっぷりのサラダを美味いと思った。お代わりをする。したたか飲んだ…といっても3杯だ。そのまえにバーボンが相当入っているが…。ビールと食事代21.4e。これで3000円弱だ。かなり酩酊したので自転車を押しながら歩いてホステルに戻る(17:20、78km)。
●4日目(13日/日) 68km
13日。ホステルを9時スタート。インフォメーションセンターに寄り、土産を買ってハメルンを出たのが9:40。すぐにコンクリートの完全舗装のパスと出会う。続いてアスファルトに変わる。
気温は10度。少し寒いのでレインウエアを着て、下は7分パンツに長靴下というスタイル。でも10kmも走ると暑くなってくるので、レインウエアはそのままに長袖シャツを脱いで調節する。道は日本でおなじみの歩道兼自転車道に変わる。
ドイツ人のサイクリストたちが乗っているのは、すこし頑丈なシティバイクといった風情の自転車で、どことなくママチャリにも似ている。ハンドルが高いせいかもしれない。これにやや太めのタイヤも僕らの26インチに比べ一回りでかい28インチのものをつけている。これがこちらの標準で、僕らの日本の自転車よりもかなり大きく感じる。
荷物は後部荷台に必ず大型の振り分けバッグを付け、さらに荷台上に振り分け部分を覆う形の大きなバッグを乗せている人もあり、何をそんなに運んでいるのという感じで、相当に重いぞという印象を受けた。
これでホテル泊まりのスタイルなんだから、テント泊なら、さらに前輪の両サイドにもバッグを付けなければならなくなる。これではアフリカ縦断でもできてしまうようなスタイルではないか。さらにスタンドやその他の付属品も付いており、相当に重そう。
こちらといえば、後部荷台上に小型のバッグを縛り付け、前部にフロントバッグをつけただけで、彼らの目にはどのように映っているのだろうか。でも、軽さが一番だ。
道はくねくねと麦畑をまわりこみながら走る。対角線上の麦畑を腰から上だけを見せたサイクリストが水平に移動している。スピードは概して遅く、サイクルメーターでおよそ時速20kmほどだ。ポタリングより早く、長距離を走る適度なスピードで、夫婦の場合、夫は妻のスピードにあわせているようだ。こちらのスピードも似たようなもので、若干早いかもしれない。リンテルン着(Rinteln)(12:00〜13:00、34km)。
昼の休憩時にユトレヒトから来たというオランダ人夫婦とふとしたことから話すようになり、ユトレヒトの情報を教えてもらった。ユトレヒトで泊まるホテルの場所を聞いたところ、ホテルに着いたら電話しなさい、市内を案内してあげよう。一緒に食事でもしませんかと言ってくれた。こちらとしては渡りに船状態でありがたく受けることにし、名刺交換をして、17日の再会を約束しあった。ご主人の名刺にはドクターとあり、夫婦とも東京からきた日本人に興味があるようだった。

彼らはクルマで数時間走り、どこかにクルマを置いて、リンテルン周辺をサイクリングしていると言っていた。今日は日曜日でもあり、こうしたワンデーサイクリングを楽しむ人々も多く、荷物なしのグループや、たまにロード系バイクも見られた。昼飯はトマトソース味が効いたパスタにした。酸味がほどよく美味だった。6.5e。
晴れているのに、空気がとても冷たくアームウォーマーをつける。ルートはサイクリングコースをわざとはずしてミンデンまで最短距離を行くことにした。別にコース上を走らなくても風景は美しく、時間的にも早く着けるというもくろみである。地図が手元にあれば、見知らぬ土地でも簡単にルート変更ができる。一般の自転車道路でも、ヴェーザー川ルートと比較しても遜色がない。広い歩道を歩行者部分とタイルで色分けしており、自転車はグレーのタイル上を走ればいい。
とあるキンダーガーデンの屋根に屋上緑化が施されており、屋根に綺麗な野の花が一面に咲いていた。おとぎの国の雰囲気を演出しているようでもあった。屋上緑化は南ドイツのフライブルグでも盛んだったが、ここのはホントに綺麗だ、今回はじめて見る光景だったので写真を撮らせてもらった。
山峡をぬけたヴェーザー川は中流域の趣となってきた。ちょうど最上川の酒田の手前付近と重なる光景が展開される。
裏道をたどり、ミンデンの尖塔を目指して走るというのもいいものだ。ヨーロッパの街には必ず教会と高い尖塔があるので、迷うこともない。ミンデン(Minden)の入り口(14:50、60km)で、立ち話しに夢中のおばさんにホテルの場所を聞いたところ英語が返ってきた。たいてい英語が話せる人のいるということもわかった。ミンデン駅前のホテルHotel Kronprinz, garni着(15:40、68km)。
ホテルでは、自転車を収納するガレージのキーを渡してくれたが、その場所がわからない。いろいろまごついて見つけたのが、それは電動シャッターのキーだった。このホテルは風呂つきだったので、風呂につかり、久しぶりに髭などを整える。洗濯も必要だった。

夕方、ヴェーザー川を渡りマルクト広場に向かった。教会の午後6時の鐘が響きわたり、観光客が教会に吸い込まれて行く。玄関には花びらで描いた宗教画があり、敬虔な気持ちになってくる。堂内に入りしばらくするとパイプオルガンが響きわたり、それにあわせて観光客も賛美歌を口ずさんでいる。信仰が人々の生活に深く根を下ろしている光景だ。やや上品なステンドグラスで飾られた重厚な感じの教会で、第2次世界大戦では連合軍とナチスとの戦闘でほぼ完全に破壊されたことを示す写真が示されており、完全に復元されたのも人々の信仰心の厚さだろう。
マルクト広場に面した店の2階でサラダとパスタの夕食とする。バイツェンビール2本ふくめ、12.7e。
●5日目(14日/月) 72km
14日。二人で64eのミンデンのホテル代をクレジットカードで初めて支払う。7:30ホテル発。今日は早めだ。
ヴェーザー川で初めて自転車を洗った。1時間かかったけれど、川の上流部の天候不順による夕立や森のなかのダートを走ったことにより相当泥まみれになっていたが、東京をでたときより綺麗になった。
川の水は意外と暖かかったし、鴨たちも場所を譲ってくれた。背後の鉄橋を渡る貨物列車を撮っていたら、機関手が手を振ってくれて、汽笛まで鳴らしてくれた。日本では機関手はマニュアル通りやらされているから、こんなことは全く期待できないので高橋君は大喜び。
自転車を進め、すこし下流のヴェーザー川に架かる運河を見学する。川の上、数メートルのところに橋を架け、運河が横切っている。運河の幅はおそらく50メートルはあるだろう。時折、船が行くのはなんとも奇妙な光景だ。橋は2層になっていて下の層にも人道があり、通行できる。
この運河と平行して新しい運河もつくられており、こちらの幅はもっと広い。つまりヴェーザー川を2本の運河が立体交差しているのだ。
遙か南を見れば、これまで下ってきた山峡が望める。もうこんなに遠くまで来たのかと実感する。
続いて運河と川を船が行き来きするための施設「閘門」を見る。船を狭いところに押し込めてゲートを閉じ、水を入れたり、出したりして水位のレベルをあわせる。たとえてみれば船のエレベーターのようなものだ。ほんの数分でこの水位調節ができる。川と運河を組み合わせた水運はドイツだけではなく、ヨーロッパではかつては重要な意味を持っていたし、いまでもライン川やそれにつながる運河でも陸上輸送に劣らないくらい活用されている。

9時(5km)。またもや前方に原発。これで2基目だ。水蒸気を盛んに吹き上げている。メルヘン街道に原発が2基もあるなんて知らなかった。地図をチェックすると発電所記号があった。
川幅はこれまでの3倍、約200mほどになった。川から2m離れたパスと川の間に荻が植えられている。この川には日本にあるような堤防がない。自然のままの…といっても日本のような氾濫原はなく川岸にあたるところは草原や牧草地、あるいは大麦畑であったりする。人家の場合はやや高見に建てられている。そして、その向こうには森がつながっているというのが下流部の光景だ。川に落ちるなという注意標識も立てられている。あまり風景が美しいので脇見をしていて川にドボンなんて人がいるのだろうか。
ついでに旅の安全性について、触れてみよう。例えば一般道を走っている場合、後ろから来たクルマは大きく避けて抜いてくれるし、それができないときは気長に待ってくれるので問題はない…しかしこれはドイツだけのことだと後日わかる。街にはたまに浮浪者や物乞いもいるが、危害を加えるようなことはなにもない。注意することといえば、運河や川にはまること、牧場の柵に電流が流れているのでそれに触れないこと、パスに馬の糞やモグラが仰向けになって死んでいるので、それらを避けることぐらいだ。
向こう岸に渡るなら、渡し船がありますよという標識を見つける。あちこちに野バラが咲き誇っている。紫のアネモネが咲き、オレンジ色のポピーが風景にポイントを添えている。パスにはペイントでヴェーザールートと書かれている。
元気なおじさんが向こうからやってきた。半パンに短いシャツだけの姿で寒くないのだろうか。とにかく元気だ。気候は日本の3月ほどで、とても気持ちよい。
大麦を消毒するトラクタが這い回っている。麦畑といっても日本の畝に相当するものはなく、一面の麦をトラクタが踏みつけながらの作業で、かなり荒っぽい作業だが、問題はないようだ。
パスの両サイドは大麦畑なので、ここは農道を使っている。しかしよく整備され、こまめに補修している。道ばたには時たま、サイクリスト向けのホテルやペンションの看板が取り付けられているが、ペンションのものはマンガチックで面白い。
ベンツに一回りも大きいリヤカーのような荷台を牽引して農民が草刈りをしている。さすがドイツだね。風景は全くの平野だ。右を向いても、左を向いても大麦畑だ。全部ビールにするのか、パンになるのか。遠くに風力発電の風車が回っている。パスは穴凹、ひび割れはまったくない。
ストロゼナウ(Stolzenau)の手前だ(11:20、37km)。ヴェーザー川が大きく湾曲しているところを運河がショートカットしている。三日月湖のような川は船の運航に差し支えるのだろう。その運河の先に信号機が付いており、「赤」だった。
一般道の路肩のほんのわずかな段差をなくすアスファルトの補修もなされており、自転車が通行する際の細かいところまで安全に配慮されていることがよく理解できた。
運河の「閘門」の操作を一通り見る。「サービンボウ号」というクルーザーが閘門の内部で待機しており、閘門の水位の上昇とともに船も持ち上げられて行く。運河との水位が同じレベルになったとき、閘門がゆっくりと開きクルーザーは運河を遡るために動きはじめた。このとき、大声で船名を叫んでやったら、彼らは手を振り返した。しかし、貧乏男爵号という日本人のジョークが通じたかどうかはわからないが、とにかく僕らは笑いころげたものだった。運河の通行料金は無料だという。
ストロゼナウの街に入る(41km)。学生とおぼしき集団と挨拶を交わす。なかには可愛い女の子もいた。昼飯はサラダにパンとフルーツポンチのようなもの(12:00〜40)。5.45e。
ここから先は広大な湿地帯で、霞ヶ浦のような浅い水面がいたるところにあり、白鳥の親子がいたりする。また風力発電風車が10基も現れる。橋を渡るとき、黄色の重さ制限標識には戦車の絵がある。戦車が通るときは他のクルマは渡るなということだろう。ハンプの作り方も、わざと狭くしてハンプを避けることができないように作られている。
ニエンブルグ(Nienburg)着(14:30、68km)。かなり大きな街だ。プリンスと書かれた傘のあるレストランの前でバイツェンで乾杯。3.1e。
その後、チェックインにはまだ早いので、案内書にあった女の子の銅像を探しまくってカメラに収める。
16:00になったのでホテルHotel Zur Sonneにチェックインする(72km)。小綺麗なホテルで自転車歓迎のマークがある。日本人は初めて泊まるのねと言った女主人は、自転車はガレージへいれて、鍵も掛けるのよといってくれた。部屋はすてきな調度類や腰水も使えるシャワー室など、とても居心地がいい。部屋は25室ほどのプチホテルだ。
夜は魚の酢漬を中心とした料理を店から買い(3.19e)、別の店からビール(3e)を買って店先で食べる。
じゃがいも、ハムとヌードルのサラダ、赤いサーモンをほぐした酢漬けだが、こいつはすこし塩辛い。アナゴのフライの酢漬けはとても美味い。なかでもニシンの酢漬けは最高だった。ミカンの皮、山椒ほどの小さい果実、それに薬草が入っている。食べている最中、店の販売員が客を尻目に6時で帰ってゆく。ここにも合理主義。食後、書店でドナウ川サイクリングマップ上下2冊(それぞれ11.9e)とドイツ北部の広域サイクリングマップ(6.8e)を買う。

●6日目(15日/火) 79km
本日の出発は8時。支払いはvisaで済ます。一人32e。ホテルの名前は「太陽に向って」で、19世紀にできたホテルをリニューアルして使っている。すばらしいホテルだった。
ホテルのガレージから自転車を引き出すとき、ひょいと持ち上げたらなんと軽いこと、荷物をつけた状態とはこんなに違うかと驚いた。5分もしないうちにヴェーザー川にでる。3月初旬の暖かさだ。今日はブレーメンまでのドイツサイクリングの最終日だ。
メルヘン街道はブレーメンまでだが、このサイクリングコースは北海まで続いている。しかし僕らのゴールはブレーメンだ。
一面の菜の花畑…といっても花は終わっており、収穫前の状態、サラダオイルになるのか。ここは珍しいことに凸凹道で一面ひび割れのパスとなった。
道はまもなく古くて長い石畳に変わった。振動が激しく疲れる。スピードも落ちる。
アスファルト道路の一般道もパッチだらけだが、まったく振動が感じられない。騒音対策や、タイヤの磨耗のことも考えて補修しているのか、かなりの転圧をしている。高速道路ばかりが立派で一般道路が荒れ放題の日本とはえらい違いだ。
9時前、朝から曇っていたのが、日差しがでて暖かくなってくる。またしても発電風車が3基。
麦は2〜3種類あるようだ。穂先のトゲがないのが大麦かもしれない。麦畑のむこうに教会のツインタワーが見えてきた。おそらくブッチェンの街だろう。道端にビッテバイクの宿があった。サイクリスト専門の民宿だ。ハンドルのかわりにフォークとナイフを配し、サドル部分にベッドをあしらっている面白い統一マークが張られている。
Hoyaというところに入る…保谷市だ。(9:30、22km)。
水を買ったスーパーで、クルマのトランクに入りきらないほどの食品を買っている主婦を見かける。これもドイツ式か。レジ係りは椅子に腰掛けてお仕事。
水はガス入りしかなく、1.5L入りが0.44e。その水を容器に移しかえて振ると容器は膨らみ、ガスが噴出してくる。ガス抜き作業も大変だ。これを数回繰り返し、残りは捨てた。
Hoyaをすぎて空は曇ってくる(10:00、25km)。
街はずれのパスには子どもたちが描いたチョーク絵のあとが残されている。自転車パスだから安心して遊べるわけだ。

今度は1基だけの発電風車がたっている。農民所有の売電専用の風車がはやっているらしい。一般道に平行する自転車パスも、たまにはとぎれることがある。その場合は車道の右側を走る。さらに8基の風車を見かける。
サイクリングも5日目となれば、要領をおぼえて、ところどころショートカットして走っている。地図があるからできることだ。心配していた足の故障や膝の痛みはなく、尻が少し痛い程度。
村の中心の教会の横にトラクタが置かれている。ここはバーデン〜ホーヤ間のサイクリングコースにもなっている(10:45、40km)。雲が切れ、日差しが戻ってくる。
ゼニンガウゼンという街の手前2kmですごい向かい風となる。自転車の速度は時速16kmに落ちる。街の入り口を流れるイーター川を渡る(11:20〜12:20、50km)。
教会があり、その横は市役所であるのは毎度のことだが、自転車屋さんがあった。高橋君は泥除け支持棒のネジ折れを修理してもらった。折れたネジに小さな穴をあけて壊して取り出すやりかただった。これで3e。
ここで亀の形をしたベルを買う。これも3e。サイクリングですれ違うとき、挨拶の代わりにこれを「プープー」やると、みんな笑う。
昼は「街の小さな喫茶店」と看板がある店の庭先で、リンゴのケーキとコーヒー(8e)。とても美味だった。気温23度。
ショートカットは終わり、正規のルートに戻る(14:00、60km)。強い横風だ。風車がいたるところに見られる。風で風車はよく回っている。
突然パスのうえに若い鹿が現れ、我々を見てすぐに姿を消す。初めて堤防が現れる。天板上にコースが造られている。日本のどこにでもある、見慣れた風景に変わったが、違うのはいたるところに発電風車があることだ。
「ポッ、ポッ」と変な音が聞こえ、何かと思ったら、ブレーメンで最初にであったのは清掃の中間処理工場だった。それはペット容器をつぶしている音だった。隣は川砂処理工場だ。建材につかうのだろう。
アウトバーンA1が間近に見え、トラックが数珠つなぎになっている。クルマ社会ドイツの一面を垣間見てしまった。しかし堤防下の小道では野ウサギが草をはんでいる光景もあったりしてほっとする。40歳台とおぼしき夫婦連れがインラインスケートを楽しんでおり、どこから来てどこに行くの? 休暇は何日?…などと聞いてきた。
川面は強風のため逆波がたっており、水しぶきも飛んでくる。遠くにはブレーメンのツインの尖塔が見えてきた。いよいよ最終目的地だ。強風のなかシティーセンターに向かう。5日間の自転車の旅が終わるという感慨がこみあげてくる(14:30、76km)。雨が激しくなり、川沿いのタイル舗装をたたく中、サイクリングは終わった。

メルヘン街道最大の都市ブレーメン(Bremen)は人口57万人。メルヘン街道の始終着点だ。この街の起源は8世紀に遡り、ヴェーザー川の水運とともにある。1358年ハンザ同盟に加入、18世紀にはここからアメリカへ移民も送り出した。60km北の外港ブレーマーハーフェンは19世紀前半に建設され、現在ではコーヒー、ビール、ベンツなどのドイツ第2の貿易港として発展している。観光スポットはマルクト広場に立つ英雄「騎士ローランドの石像」、広場東側の聖ペトリ大聖堂、旧市庁舎地下の「tsKeller」というワインレストラン、同庁舎西角の「ブレーメンの音楽隊」像。ベトヒャー通りの町並みやレリーフ、仕掛け時計などだ。
ブレーメンのマルクト広場はなんとなく雑然としている。メリーゴーランドや回転式ブランコなど大きな遊具がおかれ、トイレも移動式の有料で0.3e。
ここでは路面電車とバスにも自転車を乗せることができるが1.1e取られる。交通案内所でただの水をもらった。これはよい。
ホテルHotel Buthmann着(15:30、79km)。日本人が自転車で来たのは初めてよと大歓迎された。自転車はホテル裏にある小さな物置に入れるよう案内された。

午後5時、洗濯とシャワーをすませ、街に繰り出す。高橋君はLRTとトラムに乗りたいといって出かけてしまったので、今夜は一人だ。そのLRTやトラムがひっきりなしに通る。注意しないとひかれてしまう。線路の真ん中で写真を撮っていた男が電車を止めてしまった。しかし運転手も手慣れたものだ。
中央駅で明日オランダに向かう列車に必要な「自転車チケット」をゲットした。一度自転車を分解しないで乗せようという計画のために買った専用チケットだ。窓口で細かなやりとりが続いたが、こちらの期待通りには行かず、途中駅までしか自転車を乗せられない。そこから先は「輪行」の荷姿にすればいいのだ。ということで自転車チケットは1台8e。
書店で広域サイクリングマップを2冊買う。合計15.8e。
ようやく騎士ローランド像と出会う。日本でいえば浅草か、大阪の水掛け地蔵といったところか。ベンヒャー通りの雰囲気は一種独特だ。土産物屋は18時で閉まっており、ウインドショッピングとなった。

通りを抜けたところで寿司屋を見つける。日本人料理長がやっているというので急に食べたくなった。地中海のマグロをイタリアで育てたコシヒカリで握っている。味は1級品だった。料理長の福本君(28)は7年前にドイツに来て、現地でピアニストの日本人女性をと結婚し、2年前からブレーメンのこの店で働いているという。将来はここで独立したいそうだ。川沿いの40坪のマンションに15万円の家賃を払って暮らしているという。家賃もうんと安いようだ。
彼の親父は横須賀で自転車屋をやっており、僕の自転車ペガサス号のことも知っていたし、カッセルからサイクリングしてきたと話したら驚いていた。帰りに名刺をくれて、親父の店の連絡先も書いてくれた。
バイトの日本女性も2年前に千葉の柏から来て、ブレーメン大学でエストニヤ語を学んでいるという。寿司の支払いは、23.8e。カードで支払う。
その後、市役所地下のダーツケラーをハシゴする。大変な賑わいだ。寿司で腹がいっぱいになったので、スープとワインを頼む。8.3e。今夜はドイツサイクリングの打ち上げにふさわしく、かなり散財した。といってもたかが知れている。21時、ホテルに帰館。でもまだ明るい。
●7日目(16日/水) 11km+列車移動
ブレーメンのホテルは二人で75e。カードも使えた。客室わずか8つのプチホテルだった。
午前9:50。定刻より4分遅れで、インターシティIC2303号はブレーメン中央駅を発車。これより国境を越えてオランダのアーネムに向かう。この列車には自転車をそのまま積み込むことができる。自転車で駅に着いたら駅構内を自転車で押し歩きして、エレベータでホームにあがり、駅員に自転車の車両を尋ね、到着した列車の自転車車両を探していたら、誰かが手招きをしてくれた。
自転車ガレージと呼ばれているその区画は、最後尾の車両を半分に区切り、自転車16台を車両内に設けられた自転車支持柱などにひっかけて固定するようになっている。運転台への通路と客室への通路部分は自転車を立てたまま吊す構造だが、その位置に固定された自転車はフロアに置かれたままだった。
16台すべて予約制で、1台につき8eかかる。当然、指定席と同じ要領で、指定番号を確認し、自転車を指定位置にロックする。僕の場合、その場所…155番は、僕らが下車してからまた別の人が予約している表示もあわせて示されている。
日本の「輪行」方式と比較して思うことは、たしかに自転車を分解しないで列車に乗せられるという手軽さはあるにせよ、積載台数が限られること、また、すべての列車に自転車ガレージが連結されているわけではないこと、料金がかかることなど問題もあり、分解してケースに入れれば、自由にどの列車にでも無料で持ち込める日本方式も、悪くないと感じた。たしかに自転車を簡単に分解できないサイクリストが多くいることも事実だし、そのため、自転車ガレージはいつも予約で込みあっている。停車する各駅からはサイクリストが1人、2人、4人と乗り込んで来る。自転車をそのまま乗せられる列車は限られているのでみなさん予約しているようだ。ドイツやオランダには自転車を分解してケースに入れて、バゲージとして列車で運ぶ「輪行」という考えかたはないように思われた。ちなみに、ボクの自転車は5分間で分解・収納できるハンドメイドのランドナーというタイプだ。
列車は、オスナブリュック、ミュンスター…ドイツでもっとも自転車が活用されている都市、エッセン、ドュースブルグ。ここでICEに乗り換える。ここまで283km。残り4分1ほど走ればオランダのアーネムだ。
今日はドイツの鉄道チケットのほか、オランダのチケットも併用しなければならない。そのためのバリデートをブレーメン駅で済ましている。
もうすでになじんだドイツ北部の光景…麦畑、森、農家の赤い屋根が車窓から流れさってゆく。
ところで列車には、その列車のダイヤを示した時刻表が各席に置かれているが、これには各駅への到着時刻と発車時刻が示されているばかりか、停車駅での乗り換え列車の列車番号と行き先、主な停車駅、発車ホーム番号まで細かく示されており、驚いた。ここにもドイツ的合理主義がある。
ダートモント駅では、僕らの列車とスイスのバーゼル行きの国際列車が同じホームの反対側からほぼ同時に発車した。つまり乗客の乗り換えの便利さまで考えててのことだ。
車掌が検札にきたが、無事パスした。バリデートをしていなかったら、たいへんなことになるところだった。やがて車内販売がきたのでビールを買った。販売員は先ほど手招きした男だった。DBと書かれたしゃれたシャツを着ている。カメラを向けると、「ドイツスター」といって胸を広げておどけてくれた。なかなかのサービス精神だ。ビールは2.8eで高くない。
途中駅から警官が3人、ピストルを腰に乗り込んできた。うち一人は女性で、たぶん女性乗客への尋問にあたるのだろうか、人権にたいする配慮もいき届いているように思う。
ドイツのサイクリングで出会った人たちのなかでもっとも多いのは中年または高齢夫婦、そしてそのグループだった。もっとも一人旅の男性や女性もいたし、家族連れやリーダーがついた低学年の子どもたちの集団もいたけど…。
乗り換え駅Duisburgでのランチはピザとダークビアで3.3e。このビールDiebelsがうまかった。緑の背景に金色でビヤ樽をイメージし、白抜きで商品名を浮き立たせてデザインもなかなかのもの。この悪魔のようなビールには魅せられてしまった。もうビールに関してはベルギーの文化圏のようだ。
この駅で乗り継ぐ国際都市特急ICEには自転車ガレージは連結されていないので、さっそく日本の「輪行」スタイルをとることにする。わずか5分間で自転車は分解され袋に収まった。「悪魔」を飲みながらの早業だ。
乗り換えたICEでも女車掌が検札にきたが、差し出したチケットを改めもしないで、どこまで行くのかを聞いてきたので、2枚目に重なっているオランダのチケットを指してやると、なにも言わなかった。
ICとICEでは格段の差がある。ICEは日本の新幹線以上の内装だ。運転席後の仕切りは透明アクリルで、運転手の動作は丸見えだ。見ていると、手放し運転、交代要員とのおしゃべり、無帽、あぐら組み、たばこを吸うなど、かなり気楽にやっている。なかなかしゃれた運転席はジェット機のコクピットを思わせる。時速はリミット330kmで、営業スピードは300kmとのことだが、この区間は在来線で曲がりくねっており、150kmがせいぜいだった。

我々と同じアーネム駅で下車するノルウエーの女性が、べネルックスや北欧では自転車のことをシッケと呼ぶと教えてくれた。僕は日本ではチャリと呼ぶと言ってやった。チャリとシッケ。なんだか人々の自転車に対する親近感が伝わってくるネーミングだ。
オランダのアーネム(Arnhem)で下車したところでパスポートチェックがあった。やはりEUとなっても入国チェックはしっかりやっているのだ。EUと出入国管理、これは一つの疑問だったが、これで解消した。
駅のホームで自転車を組み立て、そのまま走り出す(14:15)。
早速、観光案内所フェーフェーフェー(VVV)に行き、市内地図を求めたところ、0.5e請求された。ここでオランダ国内のサイクリングネットワーク地図を参考までに買う。
アーネムの街も大きな街だ。すこし暑い。
この街は完全にクルマ、トロリーバス、自転車、歩行者と分離され、自転車道はとても広い。車道と併用したところでは、その道路幅の3分の1は自転車用で舗装色を変えている。
明日、走る予定の詳しい地図はVVVに置いていなかったので、すこし走ったところにあるオランダ王室レクレーション協会ANWBのブランチに行き、アーネムからロッテルダムのコースを含む15万分の1の地図セットを買う(17.5e)。
アーネムもオランダ野外博物館。ナチュラル・ガーデンで有名な近郊のミダフテン城、サバンナみたいな広大な草原の敷地内にあるクローラー・ミューラー美術館など、見るべき観光スポットはたくさんあるが、時間の関係で全て割愛せざるを得なかった。
駅前のホテル、Hotel Blanc
着(16:00)。今日はほとんど列車の旅だったので自転車の走行距離は11kmだ。街は駅前開発中で、ドイツの景観重視とはかなり趣が異なる。バイクと自転車が同じ道を走っており、特にこれは問題だと感じた。アーネムの街中をケイタイで話しながら走る女性もいて、マナー問題はどこも同じか。
ホテルでは部屋のワインは無料サービスですから、どうぞと声がかかった。
街は民族混合で何となくまとまりがなく、ごく狭い範囲にはエスニックの雰囲気が漂っている。
アーネムの夕食は、わけのわからない白身魚のソティーと薬草サラダ、インゲンのサラダなどだったが、美味かった。ダークビア3杯と魚料理で21.55e。
●8日目(17日/木) 96km
若いときにオーストラリアから各地を放浪し、たどり着いたドイツで知り合った男性と結婚、ドイツに住んで30年という日本女性から朝食時に声をかけられた。夫とパリから600キロをドライブしてドイツに帰るところだという。ドイツ北部の北海に面した街で暮らしているというが、いろんな日本人もいるものだ。
ホテル・ブランの朝食では、トーストに小粒のチョコレートをトッピングして食べた。変わったものだった。支払いは二人で94.5eと今までで最も高かった。ホテル名をもじったホワイトワインの無料サービスは、この高い値段に含まれていたわけだ。
ユトレヒトへ向けてオランダのサイクリングが始まる(8:15発)。最初は市内の一般道を右側通行に従って進む。そして信号のない一般道を横断しようとするとクルマは全く止まらないではないか。ドライバーのマナーはドイツとまるで違うのには驚いた。ようやく今日走るサイクリングルートLF4の標識を発見。低い位置にあった。ドイツとの表示の違いにとまどう。LF4というのは長距離自転車サイクリング道路4号線の意味で、これはヨーロッパに設けられているサイクリング道路の国際路線である。といっても距離が長いだけで普通の自転車専用道路なんだけど。
一般住宅地内にはハンプや狭柵があり、また自転車パスの横に弓形の側溝があり、まさかの時に逃げられる。しかしこのパスを完全にふさいで駐車しているクルマもある。
ここで早くもルートを見失う。しばらく走ってみてわかることはオランダの場合、標識がドイツのように細やかでない。しかたないので、一般道の自転車パス走る。目標は大きなランドマークである高速道路を目指す。高速A50にぶつかるように走るわけだ。
サイクリストも並進や、グループの団子走行などマナーが良くない。しかし自転車が曲がるときの手信号だけは守られているようだ。この点は日本の場合と違う。日本では手信号をやる人は皆無に等しい。
その高速A50をくぐって、しばらく走ったところでようやく本ルートと遭遇できた。
本ルートの標識とともにENECOという250kmの周回コースも表示されていた。これがオランダ独自のサイクリングルートである。オランダの場合、広域図で見るとこうした周回サイクリング道路が数多く作られているが、これもオランダの特長のようだ。またここが自転車専用道であることを示すFIETSPADという表示も見られた。
ルート上を北上すると、いきなりトウモロコシ畑に入る。すでに50cmを越える高さに育っている。日本の桧に似た広大な林の隣は牛牧場だ。パス横は乗馬コースで馬の足跡が延々と続いている。柏に似た葉の太い並木も延々と続く。
高速A12をくぐる。続いて小鳥がさえずる赤松の林。さらに砂地に不毛の草が生えている大地を横切る。向かい風がきつい。セカンダリーロードN224をクロスし、そのまま道路脇のパスを行く。EDOの街の3km手前でルートをショートカットする。一般道と平行して設けられているFIETSPADを走っていたところ、スクーターがかなりのスピードで脇を追い抜いていった。意表をつかれてちょっと怖い。

EDEの街に入る(10:10、27km)。
オランダはクルマを生産していない国だから、メーカーからの圧力がなくクルマ対策の規制は比較的やりやすいと思われる。政府としてはクルマを減らして自転車などへの転換をはかっている。オランダの自転車対策はドイツに見られる余暇的インフラの整備・充実という側面より、日常生活における移動手段としての自転車対策に重点がおかれているように見受けられる。その自転車と同じレーンに日本でいうところのスクーターや単車を走らせているのはどうも納得がいかない。
EDEではサイクリングパスに面して、長い長いセパレート住宅が建設中だ。文字通りウナギそのもので、低層のこうした住宅は日本では見かけないものだ。高速A30をくぐる。ユトレヒト手前でANWB王室レクレーションセンターのキャンプサイトがあり、ウエルカムの旗とともにANWBの旗もはためいていた。
草刈りが行き届いている森の中の小道はダートだが、とても快適。LF4の正規のルートだが、パス幅は130cmと狭かった。
BMWの女は踏切を一旦停止もしないで、クロスしようとする僕のまえをすっ飛ばしていった。コワイコワイ。この国では、踏切の一旦停止義務はないらしい。
とある森のなかの素敵な庭園を持つ別荘地兼休憩所があり、お茶とクッキー程度ならといわれたが、遠慮して立ち去ったが、素晴らしい庭園だった。
マイレスベルゲンに入る。(11:30〜12:30、46km)。団地のなかはクルマがスピードダウンする仕掛けがしつらえてある。ドライブインでオムレツ・ナチュレとコーヒーで昼とする(6.5e)。
高橋君は自転車屋へ修理に向かう。彼の泥除けが振動のため支持位置のアルミが金属疲労で破れ、タイヤに接触していたのだ。支持棒ネジ折れを放置していた連鎖的故障だ。
午後は、全くの見通しの利かない深い森のなかを走る。東京で大縮尺の地図でみたあのグリーン地帯だ。抱いていたイメージが変わった。こんなに深い森がオランダにあったとは…まるで今にも魔法使いの婆さんが現れるような暗い森の雰囲気だ。小鳥がさえずっている。雨がパラついて来る。ゆるいゆるい登りだ。オランダにも起伏がある。森は約4kmにわたって続いた。
障害者マークをつけた4輪自動車が自転車パスを行くのには驚いた。森のはずれで正規ルートに戻る。凄い強風。周りには長く背の高い防風林が空を区切っている。
農家の窓は伝統的なデザインで彩られ、その前には清冽な小川が流れ、すこし離れたところでは腹を満たした牛が寝ており、まことにオランダ的な風景が広がる。
一般道を横断中にクルマの接近に気がつかず、あやうくぶつかりそうになった。相手が急ブレーキをかけ、こちらもハンドルで回避したので事なきを得た。相手を信用しては駄目だ。ここはサイクリングルート上なので、すくなくとも信号機を設置すべきだ、などと思う。
数匹の雛を連れた鴨が小川を泳いでおり、サイクリストの出現にあわてている。
自転車インフラをもっているニュータウン、ハウテンを目指すため、ルートをはずれる。すれちがった村のおばさんから「トキヨ」と声がかかる。
大型のシャベル作業車が路肩の草をかき取ってている。道路の保守は完璧だ。
はるかハウテンの近代的な建物が牛の群の向こうに見える。5年前にできたこのコミュニティー、かなり冒険的なデザインの建物が建てられているが、どれも小さな家で庶民向きだ。しかしクルマと自転車や歩行者の仕訳けは、ほぼ完全になされており、細部にわたり、これらを観察した。クルマが自転車道と交差するときは必ずハンプがあったし、自転車の減速装置すら見られた。
かなりの強風と雨の中、ユトレヒト(Utrecht)に入る(14:50、80km)。ホテルHotel Ouwi 到着(15:30、86km)。
料金は先払いで一人42.5e。もちろんカード払い。自転車はダイニングの前のベランダに保管する。
早速、ドイツの小さな街リンテルンで出会ったベハマン(57)さんに電話をかけ、16:00に迎えに来ていただく。これから彼が街を案内してくれるというのだ。
オランダ第4の都市ユトレヒトは、中世の面影が残る古都で、オランダ国内の交通の要衝として発展してきた。
旧市街には2本の大きな運河が流れ、ドム塔というオランダ随一の高い鐘楼を持つ教会が中心だ。運河沿いには、こじんまりしたカフェやブティックが並んでいる。またモダンな建築や家具なども見られる。
中央博物館 Centraal Museumはユトレヒトの歴史資料、絵画、彫刻からからモダンアートまで、幅広く揃えている。
これらのうち、こちらが見てみたい街の中心部や運河、市役所の市議会の開催の様子、新しい庶民向けの多機能住宅をデザインした建物などを効率よく案内していただいた。
また、この見学のため、中心部のマルクト広場に自転車を置き、歩くことになったが、ベハマンさんは太くて重い鎖型の錠を取り出し、僕らの自転車を厳重に支柱にロックしてくれた。僕らが日本で使っている直径10mm程度ワイヤー式のものは、簡単にワイヤーカッターで切られてしまい役に立たないと言う。そういえば、ブレーメンの中心部の路上には、直径15mmを越えていると思われるワイヤー式錠が切断されて路上に捨てられていたのを思いだした。自転車先進国は同時に盗難というやっかいな問題を抱えているのである。
街のあちらこちらでは、路地や家々にオレンジ色の小旗が飾られている。なにかの祭かなと思う。旗には自動車のプジョウのライオンマークがプリントされている。ブジョウのセールスにしては少し変だと思い、ベハマンさんに尋ねたところ、サッカーのヨーロッパ戦の応援だとかで、オレンジはオランダの色、ライオンは王室の紋章だとわかった。このときオランダはドイツと1対1のいい勝負を展開しているとかで、日本でいえば阪神タイガースファン以上の熱気が感じられ、これはロッテルダムでも同じだった。
市内見学の後は彼の家に招かれる。彼の家はいわゆるセパレート住宅で長く連なった3階建ての建物の一部を買い取り、3階部分までの区分所有である。
1階は大きなワンルームだが、前後を仕切る仕掛けがあり、応接間とリビングに分けられる。家具調度品はわりと新しい感覚のものがゆったりと置かれており、ゆとりを感じさせられる。南西方向に裏庭があり、かなり広いその庭にはびっしりと様々な草花が植えられ、ここで太陽を浴びると素晴らしいよと、彼は話してくれた。
その庭のベンチでバイツェンビールを頂く。そして明日のロッテルダムに向かうサイクリングルートを推薦してもらうなどしたあと、やがて食卓に招かれ、奥さん手作りの料理をご馳走になった。
23歳になるという彼の息子さんとともにテーブルに座ったが、食事の前の「お祈り」に文化の違いを実感。ニシン、サーモン、ウナギの薫製など、生魚がメインで、自宅のキッチンガーデンで採れたたっぷりの野菜サラダが添えられていた。息子のダニエル君は生魚が食べられず、肉団子を食べていたが、明日は試験があるとかで早々に自室に引き上げていった。
夫妻とは、オランダの印象、サイクリングやそのインフラのこと、彼の仕事である住宅会社への公的融資システムや住宅のこと、アムステルダムで生まれた奥さんのインケさんの趣味であるブックカバーにまつわる話など、つい話し込み、いつの間にか21:30がすぎてしまった。
ドイツの田舎の街でふとしたきっかけに知り合っただけなのに、ご親切にもユトレヒト市内を案内して頂き、自宅に招き食事を提供していただくなど、たいへんに恐縮したが、こちらとしてもオランダ人とのまたとない交流の機会なので、遠慮なくご厚意に甘えたわけだ。こうして今夜は今回の旅の最高の夜となった。
ご夫妻とも英語を話すことができるので、ほぼ完全に近いかたちでやや静かな早口で、すこし訛のある英語を聞き取ることができ、質問や、こちらの感想や意見も聞いてもらうことができた。
帰りには、もし東京に来られることがあるなら必ずコンタクトをとってほしいと伝えた。そして「さよなら」をした。
帰り道には彼らのキッチンガーデンに案内された。10分ほど自転車で走ったところにある小川のほとりに、400平方メートルはあるという広いガーデンには、ご本人にも数え切れないほどの野菜や、花、そしてプラムがよく育っていた。小鳥もたくさんやってくるらしく、実を付けたインゲンなどにはネットがかぶせてあった。住宅の広さは決して広いとはいえず、3階建を日常的に使わなければならない不便さもあるだろうに、広い庭とキッチンガーデンを持ち、どちらかと言えば質素な暮らしぶりだろうと思われるが、豊かな生活がそこにはあるように感じられた。べハマンさん、インケさんありがとう。
今日のトリップメーターは96kmを指した。合計距離525km。
●9日目(18日/金) 81km
ホテル・オウイを8:45分にスタート。
オランダを走っていると、クルマを見ているだけで、この国の生活水準がどの程度なのかよく分かる。街を走っているクルマはドイツと違って、ベンツやBMWなど高級車はあまり見かけない、それより1ランク下のプジョーやトヨタのビッツが多く、なかにはスズキとかダイハツといった軽自動車クラスが幅をきかせている。クルマからすべての生活水準を推し量ることはできないにしろ、隣国ドイツとオランダの人たちとの生活水準には明らかな差があるように思えた。この違いがどこからくるのか、不思議に思える。
最終日の今日は時おり陽がさす薄曇りだ。最後までついている。現在地は、ハウテンの西側の運河と運河の合流地点だ(9:30、11km)。橋を渡る高速道路の脇に使われていないセカンダリーロードがほじくり返されている。このセカンダリーロードは、高速道の完成とともに撤去されようとしているのだ。日本ならさしずめ高速の車線を増やすために利用されるだろう。セカンダリーロードの橋は自転車用に転用されている。
昨日とは打って変わり、今日は一転オープンスペースだ。川や運河のそばを走る。レク川(LEK)を大きな運搬船が遡っている。風景のあまりの雄大さに息をのむばかり。そのレク川の右岸をロッテルダムに向けて西に進む(10:30、23km)。しばらく走ると単調になってくるので堤防の道を降りて村に入る。村の中はドイツに比べるとすこしゴチャゴチャした感じだが、小さいながらも農家の庭先も小綺麗にまとめられている。
出発したユトレヒトまでの案内表示板があり、クルマの道は20kmとなっている。我々はここまですでに28km走ってきた。
現在地点はロッピック(Lopik)。村の農家の庭先では鶏が放し飼いされており、水路にはアサザに似た水生植物が黄色い花をつけている。水路は縦横に切ってあり、泥炭地帯で川面を水藻の濃いグリーンが一面に覆い、そのなかを鴨や名も知らない鳥たちが餌をついばんでいる。額から鼻筋にかけて白く、あとは全身真っ黒な水鳥…ムーヘンがその上を走り、水藻が切れたところで水面に飛び込む。まるで襟巻きトカゲのようで笑ってしまった。農家の庭先にはバラが誇らしげに咲いている。

パスの両側は水路なのだが、かなりの高低差がある。パスは牛の糞だらけ。この道を牛たちは、毎朝、草はみ場に通うのだろう。ショホンホーベン(Schoonhoven)着(11:30〜12:20、38km)。
昼はスーパーで買ったコーケンアンドストメン(4.99e)というものとミルク。ロッテルダムに近いせいか、鱈の酢漬けがマカロニのうえに乗っており、トマト一個分も入っている。ケチャップソース味で美味だった。合計5.44e。
見事なバックでスーパーの車庫入れをやり遂げたトレーラーのドライバーと歓談する。
午後は、フェリーで対岸に渡る(0.5e)。「渡し」のなかではホンダの自動2輪に乗ったドイツ人グループと話しこむ。道路のロータリーに屋上緑化で使う万年草の一種がびっしり植えられていた。ロータリーの視界を確保して緑化するのが目的か、なぜ芝を使わないのか、疑問に思う。
村の教会の鐘が午後1時を告げる。そのそばを旧型ワーゲンのオープンカーに乗ったハネムーナーがゆっくりと通りすぎてゆく(13:00、46km)。
道は堤防から村の水路に変わり、そして農家もなくなり、泥炭地のダートとなる。バランスをくずせば水路に落ち込みそうだ。このあたりは海面下7mのところ。泥炭を乾燥させている。昔は燃料にしたのだが、今は何に使うのか。
暗雲が牧草地に広がり、またもや驟雨が襲ってきた。身も心も自然ととけ込み、遠くから臭ってくる牛たちの臭いもなんとなく心地よく、癒される感じがするのは不思議なことだ。驟雨は暗雲とともに過ぎ去った。水路にはさまれた真っ直ぐなダートを行く。日本の水路や用水とは比較にもならない規模で続く。
オランダは水と長い年月かけて戦ってきた国なので、様々な堤防技術、ダム技術、水路管理技術の蓄積があるのだろう。自然と人間との共存の見本のような公共事業という一面も感じとることができる。
風車…ウインドミルが見えだした。風車が水面に映えてなんと表現してよいのか、静かな静かな光景だ。雨蛙よりももっと小さなカエルがピョンピッヨンとパスを横切る、大きな蛤のような貝が割られている。頭のいい水鳥が上空から落として貝の身をついばんだのだろう。パスの上を鴨がゆうゆうと横切ってゆく。生物多様性そのものの豊かな世界がオランダの水辺に広がっている。
風車が18基保存されているところkinderdijikに到着(14:00、61km)。回っているのは一基だけ、あとは羽の黒い綿布がはずされ、風は羽の骨組みの間を抜けて行く。風車の原理は、風で羽を回し、その力を利用して運河の水を農地に灌漑する仕組みで、日本の水車のように水流を利用できないかわりに、北海からの強い風を利用するのだ。風車の列は絵になっている。
またもや「渡し」(0.55e)で対岸へ(15:00、67km)。レク川から支流に入り、ロッテルダムを目指す。橋へのアプローチの急階段は疲れた。体に堪える。しかし、階段脇の自転車のための溝切りは脱輪を防ぐために設けられたもので、町の自転車道づくりの参考になる。

遂にロッテルダム(Rotterdam)に入る(15:20、70km)。市内へのアプローチも無理なく自然に生活道路に導かれる。セカンダリーロードN240の橋を渡り、高速A16を突っ切る。
ユースホステル、スタイオカイロッテルダム(Stayokay
Rotterdam)は4時からのチェックインのため、込み合っていた(16:20、81km)。自転車は別の入り口から中庭に入れ、ロッカーに固定する。
ユースホステルもカードで先払い(44.1e、一人22.05e)。
疲れていたが、街に出て自転車の梱包材料を仕入れなければならない。日本でいう「プチプチ」は、大きなスーパーにもなく、大型家電店にもない。黒人の女性店員がなにしますと聞いてきたので、プチプチの切れ端を示してこれが欲しいというと、ありますという。15mほど欲しいというとオランダ人のスタッフに売っていいかと尋ねた、しかし商品じゃないからと断られ、失敗してしまった。彼からはDIYの店を紹介してもらい、行ったが、これも空振り。仕方なく店のゴミ袋を漁ってしまう有様だ。これに見かねた店員が、画材店を紹介してくれ、足を棒にしたあげく、なんとか買い求めることができた。旅の終わりはこんなものかもしれない。
ロッテルダムの街並みはオランダの中でも『近代都市』といった感じで、日本の大阪のようなところがあり、あまり面白くない。第二次世界大戦中に、旧市街がドイツの爆撃にあい壊滅したためだ。戦争は文化破壊でもあることをオランダであらためて実感させられる。この街は戦後焼け野原から出発し、次々と新しい都市計画が出現、近代化していった。世界初の歩行者天国ショッピング街ラインバーンを誕生させ、立方体の家、キュービックハウスなど、街そのものが現代建築の実験場だ。
街でホワイトホースを買う(9.5e)。疲れて強いアルコールが欲しい。夕食は高橋君と別れ、ベルギー系のビールを楽しむ。ビールだけを飲ませる店で、ウェストマーレのトラディショナルのダークを飲んだ(3.5e)。隣の船員風の男と話しになり、自転車の旅をしているというと、俺の知っている奴は、この街から北京まで何年もかけて行ったよと話してくれた。
そこを引き上げ、オランダ系の店でチキンフィレとヌードル、サラダを頼み、バイチェン系のビール、ヴィキサーを3杯も飲んでしまった(21.4e)。歩いてユースホステルに戻ったのは、午後10時を回っていた。
総走行距離は、600kmを越えた。
●10日目(19日/土) 20km+列車移動
翌19日。ロッテルダムの朝、6時前からロッテルダム港をポタリングした。気温は10度。雲と青空との間に日の出直後の太陽が顔をだし、新マース川は輝いていた。

港全体を見渡せる185mの展望塔ユーロマストの開館は9時半からで、今は静まりかえっている。水運の利に恵まれたロッテルダムは、欧州域内の貿易で成長し、戦後の復興期を経て、いまや世界最大の貿易港ユーロポートに発展。さすがヨーロッパ随一の港とあってその広いこと、迷子になってしまいそう。
巨大なガントリークレーンが並び立ち、そばにはコンテナが山積みに重なり、冷凍コンテナの冷凍装置がうなりをあげている。船やコンテナ、ガントリクレーンなどの風景をカメラに収める。ユースホステルからの往復に18kmも走ってしまった。
ここロッテルダム港と日本との関わりでいえば、僕らの旅の最中、日本がDDTやPCBなど有害化学物質を輸出する際に相手国の同意を得ることを義務付けたロッテルダム条約を受諾したことだ。
ヨーロッパ最大の貿易港であるロッテルダムを舞台に国際間の議論が交わされ、途上国の環境汚染を防ぐための、このような条約を成立させたのも、この港が国際貿易のひとつの象徴であるからにほかならないように思う。
いよいよオランダともお別れだ。ロッテルダム駅までユースホステルから最後のサイクリングだ。昨夜買い求めた梱包材料を積み、もうホームレスに近い格好で駅までの2kmをゆっくりと進み、そのまま駅のエレベータでホームにあがり、ホームの端で航空機で託送する自転車を分解し、慎重に包装する(9:40〜11:00)。本日の走行、20km。今度の旅行の総走行距離は624kmとなった。
ロッテルダム中央駅(11:47)からユトレヒトまで快速列車に乗る。牛の群、発電風車、水路など見慣れた風景が、フィルムを巻き戻すように流れ去る。
うとうととしていたら検索が来た。黒人の車掌だ。まもなくユトレヒトだ。2日前に自転車で入った町だが、この駅に降り立つのは初めてだ。この駅で乗換え。
ユトレヒト(13:42
)からフランクフルト空港駅まで直行できる国際都市特急(ICE127)は便利だ。今回のICEは不思議なことに沿線の柵もなにもないなかを、最高時速303kmまでだした。

空港では、2時間の待時間を利用してシャワーを使った(6e)。ニシンの酢漬け、人参サラダ、海鮮サラダ、パン、ビールで食事していると、スウェーデンのストックホルムに帰るという親子連れが同席したので、話が弾む。10歳のかわいい男の子がいろいろと話しかけてきた。彼は2年ほど英語を習っているといい、丁度いい話相手になった。スペインの小さな島にセーリングに行っていたとオヤジさんは言っていた。オヤジさんはソニーのデジカメを取り出したり、日本のパームコンピュータを操って、素晴らしいを連発していた。
全日空の共同運行便(LH9790便20:45発)は、フランクフルトを定刻に離陸。
オホーツクから日本海を斜めに横切った新潟上空からは残雪の谷川連峰がハッキリと望まれ、成田に無事着陸(20日14:50)。自転車は、ボクが発見したときはすでにカートに乗っていた。別扱いで大切に扱われたようだった。(了)
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