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●少し長めの前書き
イギリスの西の島国アイルランド。いつかは行ってみたいと漠然と考えていたが、いよいよ今年(2006年)、出かけることにした。
アイルランドは、イギリス領の北アイルランド(人口170万人)と、独立国であるアイルランド共和国(人口413万人)の二つの国がある。この2国を合わせると、面積(70,282ku)、人口(583万人)とも、ほぼ北海道(面積83,454ku、人口568万人)の規模に匹敵する。
つまり北海道と同じ大きさのヨーロッパの島国を自転車で巡るのだ。
18世紀、この島国から多くの人々がアメリカに渡り、アメリカという新しい国造りに参加した。ニューヨークの警察官や消防士は、誇りをもってニューヨークのまちづくりに参加したという歌…
"When New York Was Irish" があるし、彼らの子孫はあの9.11のグランドゼロの礎になったものもいた。
アイルランドは700年にわたりイギリスの支配に苦しみ、いまも北アイルランドはイギリス連邦(U.K.)に属している。
アイルランド人は、ジャガイモ飢饉で強制的にアメリカに送られたものもいたように、苦しい暮らしから逃れるためにアメリカに移住したのだが、アメリカに多くの影響も及ぼした。そのことはアメリカ歴代の大統領のうち、その先祖がアイルランド出身者だったものが16人もいることにも表れている。ルーズベルト、トルーマン、アイゼンハウアー、ケネディー、そしてクリントンなどだ。こうしてアメリカとアイルランドは太い絆で結ばれている。
彼らの独特の文化…特に音楽は素晴らしい。バン・モリソンやメアリー・ブラックなど、その文化を受け継いでいる歌い手がいる。エンヤもそうだ。パブを巡ることによってこうした場面にも遭遇できるかもしれない。
そして自然だ。アイルランドのいたるところに存在する、素朴というか、荒涼とした自然にも触れてみたい。
●政治問題にも興味がある
ベルファーストなど北アイルランドはイギリスの支配下だが、なぜ独立運動が存在するのか、その理由も肌で感じてみたい。デリーでは34年前にデモ隊がイギリス降下部隊によって弾圧され、多くの犠牲者が出た「血の日曜日」事件(1972/1/30)が起きている。
イギリスとアイルランドとの関係を如実に物語っている事件なのだが、平和的な雰囲気のもとで行われたデモ行進だったが、無届けだったため弾圧され、犠牲者は14人となった。その殆どが10代の若者だったという。
この事件の1年前の1969年からイギリスとの連邦関係の継続を望むユニオニストと呼ばれるグループと、アイルランドとの統合を望むナショナリストと呼ばれるグループが対立し、双方の過激派による武力闘争が続いていた最中に、このいまわしい事件は起こった。そして、この事件をきっかけにイギリスは北アイルランドの直接統治を開始し、紛争は泥沼化。以降90年代にかけて3000人もの市民がテロの犠牲になっている。
デモ行進は何を要求していたのか。就職におけるプロテスタント中心の差別的雇用の撤廃のほか、プロテスタントに7割が割り当てられる住宅割当差別の撤廃、そして選挙投票差別の撤廃だったという。デリーでは、市南側のカトリック系市民2万人の地区から8名、北側のプロテスタント系市民1万人の地区から16名の市議会議員を選出するという、一見して明らかなようにカトリック系市民の要求を市政に反映させるうえで大きな差別的選挙制度がまかり通っていたのだった。青年たちが先頭に立ったデモ行進はこうした非民主的な市民権の改善を求めていたのだ。
プロテスタントはいわゆる「新教」でイギリス人の宗教、「旧教」カトリックはアイルランド人の宗教で、イギリスとアイルランドの対立は宗教対立の様相も帯びて複雑な様相を呈し、日本人には理解できない部分もある。
あのイギリスがわずか30年前までこうした非民主的政策をとっていたこと自体大きな驚きだ。アイルランド西部のディングル半島の荒涼とした土地にしがみついて暮らす19世紀末の農民を描いた
"Far and
Away"(邦題「遙かなる大地へ」)。地代を払わない農民の家を地主が焼き打ちするシーンが印象に残っているが、こうした地主を使って「支配」するイギリスのやり方が、つい最近まで変わっていないということだ。
こうした市民権の平等を要求した非暴力のデモを弾圧し、多くの死傷者がでたことをきっかけとして、反英感情がアイルランドに広がった。アイルランド人はこの事件を忘れないために、あるいはそのことを後世に伝えるために「血の日曜日モニュメント」を立てたり、事件をテーマにした歌も複数生まれている。"The
Town I Love So Well" という歌は横井久美子も歌っているが Phil Coulter というミュージシャンが作った。また "Sunday
Bloody Sunday" と事件名がそのまま曲名になったロックバンドU2の曲や、ジョン・レノンも "Bloody Sunday"
を歌っている。現地でこうした曲が聴けたらいいし、事件のモニュメントは是非訪れたい。そしてあの事件のあと、デモ行進で掲げられた要求は改善されたのか、この目で見てみたい。
司馬遼太郎は「愛蘭土紀行」でアイルランド人は日本にとても親近感を抱いていることの理由として、日本が第2次世界大戦でイギリスを相手にして闘ったからと書いている。つまりはアイルランド人は、700年以上にわたるイギリスに刃向かうものは自分たちの味方だという短絡的な意識もあるというのだ。支配された恨みはまだまだ消えないし、続いている。
●サイクリング企画会社
またさらなるお楽しみは、この国がウイスキーを生み出した母国だということ。スコッチウイスキーが世界を席巻する19世紀までの約千年の間、「ウィスケ・バハ」(生命の水)とアイルランド語で呼ばれる酒がアイルランドとイギリスで愛されていた。だからウイスキーの故郷の旅を楽しむこともできる。
いわゆる観光名所が全国のあちらこちらに存在するアイルランドには、こうした自然に親しむアウトドアースポーツが盛んだ。ハイキング、乗馬のほか、釣りやヨットなど海の遊びもある。なかでも自転車で風光明媚な土地をサイクリングする愛好者も多く、こうしたサイクリングを企画する会社が20社ほども名を連ねている。1日50km前後のサイクリングを1週間続けるタイプのものが多い。Cycling
Operators
と呼ばれるサイクリング企画会社にも様々なタイプがある。B&Bを基本的に利用する低額料金タイプから、豪華ホテルを利用するツアーまで、その価格差は3倍の開きがあり、なかにはアメリカからのサイクリング客を専門に受け入れる会社や日本語のホームページで宣伝しているところまである。
こうしたサイクリング企画ツアーはもちろん日本にはないし、ドイツでも見かけなかった。こじんまりした国土ということもあるだろう。大部分がガイドと貸自転車がセットになった企画だが、もちろん個人参加が可能だ。ガイドなしで個人でサイクリングを楽しむ向きにもコースや宿泊施設を設定してくれる。こうしたツアーに参加するのも、宿を探す苦労をしなくてよかったり、未知の人達との交流が期待できるといったメリットがある。しかし1日のサイクリング距離が短いので、日程に余裕が必要だ。
知らなかったことだけど、自転車に不可欠なチューブ式タイヤは1888年にベルファーストの獣医だったスコットランド生まれの John Boyd Dunlop
が発明したのだ。彼は息子の三輪車で最初のテストをしたという。ダンロップという名は自動車タイヤで世界中に使われているが、もとはベルファーストで発明されたものだったわけだ。この人のお陰で、世界中のサイクリストだけでなく、乗り物を利用する人たちが恩恵を受けているのだ。1世紀を越える昔の発明品ながら、その原理は今日も変わっていない、すばらしい発明というほかない。
●個人ツアーに変更
2006年1月から、Pedalpower Cycle Ireland という Cycling Operators
とmailのやり取りをした。インターネットで見つけたサイクリング会社だ。
この Cycling Operators
は、3週間かけてアイルランドを1周するプログラムを提供しており、他社が例えばディングル半島などのいわゆる限られた観光地を巡るのにたいし、そのスケールはもちろんのこと、アイルランドを1周することにより、その国がよく理解できるだろうと思い、交渉を続けた。
しかし、1月段階では時期尚早といわれ、5月まで待たされてしまった。5月中旬になり問い合わせたところ、ツアー客からの申し込みがないので、今年の企画をキャンセルにしたいと返事が届いた。そんなことってありなのと思ったが、これは現実である。
しかたがないので、その Cycling Operators
のホームページに掲載されているアイルランド1周ルートを参考にして、自分なりのルートを作成し、Cycling Operators
に頼らないで、ソロツアーをすることに切り替えた。
ルートはベルファーストから出発し、反時計回りに東海岸を北上し、西に向かって、主な景勝地を楽しみながら、南下して Cork あたりか、または Dublin
まで北アイルランドとアイルランド共和国を周回し、Dublin
にしばらく滞在してから、ロンドン経由で帰国するというものだ。走っているだけで3週間以上、滞在期間を入れて約1カ月近い旅となる。距離はおそらく2000kmを越えるだろう。宿泊施設は、通過するルート沿いの町に複数のB&Bがあり、さらにホステルという宿泊施設もあるので、予約なしでも問題ないと判断した。
●自転車事故とGPSナビ
今回はアイルランド一周でもへこたれない体力が必要だから、気合いを入れた練習的走行を繰り返してきた。
しかし2006年のゴールデンウィークの直前、不覚にもアクシデントに遭ってしまった。それは津久井湖と宮が瀬ダムを巡るロングランがほぼ終わりかけた午後2時前だった。鶴川街道の鶴見川近くの交差点手前で信号待ちをしているトラックの合間からスクーターが飛び出してきて、車列の左側を並走していたボクは、そのスクーターと90度の角度で衝突し、飛ばされてしまった。この予想もしない事故で身体こそ擦過傷程度ですんだものの、フレームが3個所にわたり座屈した。大破である。
この事故のため、フレームの再オーダーからやり直しで、完成まで約2カ月間かかることになった。その間、友人のスポルティフを借り受け、ランドナーと同じペースで走ることができたので、体力低下は避けることができた。そして、ようやく手元にランドナーが戻って来たのは、出発の10日前だった。それから、1週間かけて試走やメンテナンスを行い、3日前に成田に輪行仕様で託送した。
現地を走るルートの確認は、GPS端末を持ってゆき、これにナビゲーションさせることによって行う。そのためGPS端末にアイルランドの地図を転送し、ルートも表示させることができるかどうかのテストを行った。1年間、ヨーロッパのデジタル地図を扱わなかったために失念していたが、再インストールで問題なくPC上での地図表示、ルート設定、地図切り出し、転送、GPS端末上でのルート表示など問題なく機能することを確認した。GPS端末で表示できるルートは20本までなので、全行程をこの範囲のルートに切り分けて作成・転送する必要がある。
ロンドンまでの格安航空券の確保、ロンドンから Belfast 行きのイギリス国内航空チケットもINETで行った。
今回から、旅行案内に掲載されている情報をデジカメに撮影して、それを拡大表示させて観光名所や宿泊情報の確認を行う方法に変更することにした。なんといっても紙の資料は重いから…。必要な情報はその都度デジカメで確認し、その後不要になれば削除する。自転車で極限まで荷物を減らしたい今回の旅の、デジカメの新しい使い方だ。
●旅のルートが完成
約3週間以上の旅のルートがようやく完成した。
PCとアイルランドのデジタル地図を使って、観光名所やサイクリングをして楽しいコースを選定した。アイルランドにはサイクリング会社の設定したコースが10数カ所各地をネットワークしているので、なるべくそれに沿って走るようにし、1日毎のルートに仕上げてゆく。
そのほか参考にしたのは、Tourism Ireland の "Cycling in Ireland" 、観光名所が記入されている 1/80万図 "Great
Britain & Ireland"、全土の詳細がわかる1/21万図 "The Complete Road Atlas of
Ireland"、それに「地球の歩き方 アイルランド」である。
一日に走る距離は100km前後と決めている。それ以下だと、能率が上がらないし、以上だと疲れてしまう。しかし実際に100km前後のルートを組むのは難しい。理由は1日が走り終わったときに、泊まることができる町があることが条件となるからだ。
あるルートを作成するとPCは指定した道路をなぞってルートを描いてくれ、その合計距離を自動計算してくれる。この距離が200kmなどと、とんでもなく長い場合もある。とても1日で走れる距離ではないので、手前に町があるところまでルートを縮めてみる。こうした試行錯誤を繰り返して最終的に18のルートを組んだ。これをGPSに転送し、その都度、ナビゲーションさせるのだが、GPSが受け入れることができる容量の限界に近づいた。
こうして完成したルートのうち、もっとも短いルートは Belfast空港から City centerまでの6kmであり、長いものは KenmareからBantry間の129kmで、これは南西部の
Beara
半島周回ルートだ。そのほか、90km以上走るルートが延べ10日間ある。ルートの約半数が長距離サイクリングとなるので、相当の覚悟と健康管理が重要となる。無理をしないで、疲労が蓄積すれば、休養日を設ける以外にない。ルートが長いからといって、途中で打ち切れば、宿なし状態に陥ってしまう。
アイルランドを反時計回りに周回するといっても、1個所だけ、フェリーでショートカットするところを作った。予定では15日目で、Dingle半島の先端近くまで走ったあと、後半の周回をカットし、Dingle湾を南に横断するフェリーで
Iveragh半島の Cahersiveen
というところへ上陸するのだ。フェリーからアイルランド西海岸を眺めるのもいいだろうというのは口実で、実は多分、相当に疲労が蓄積しているだろうと考えて決めたことだ。
1日100km前後というのは、日本で日常的に走り込んでいる距離であり、問題はないのだが、それが連日となると話しは別だ。日程に余裕をもったスローペースで行くしかない。そのほか雨の日のこともあるだろう。
ともあれ、こうしてPC上で行程をシュミレーションしてルートが作れるのであるから、随分と便利になったものだ。お陰で、重くてかさばる紙の地図を携行する必要は、もうない。
さらに今回から、GPSをカラー表示ができる新しいタイプのものに変更した。試用してみてわかったことだが、これは従来機種の単なるカラー化ではなく、様々な新機能が付いており、その視認性の改善とともに使いやすく配慮されている点が嬉しい。従来機種と大きく異なるところは、従来機種が近くに道路がある場合、そこに飛んでしまうといった点が改良され、正確なポイントを記録できるようになったこと、ルートの自動計算、高機能地図との組み合わせて自転車モードが使えることなどだ。モノクロからカラーに変わり、川と道路の区別や道路番号表示なども改善された。
今回のツアーで、BelfastからDublinまで、アイルランドをCの字の形のように走ることができたら、その合計距離は約2000kmとなる。日本でいえば、北海道の根室から九州の長崎までを直線距離で結んだ距離とほぼ等しい。そしてこれはまた、日常的に東京でボクが春と秋のサイクリング最盛期の2カ月間に走っている距離の合計と一致する。2カ月分を1カ月に圧縮して走るとなると、68歳のボクにとっても、これはまた、新しいチャレンジだ。
●"Erin go Braugh"
"Erin go Braugh" とは" Ireland Forever
"「アイルランドよ永遠に」の意味で、古来からいろんなシーンで使われた特別な意味を持つゲール語のフレーズだ。祖先が暮らした孤島から本島に移住した上陸第一歩にこの言葉が使われたというし、19世紀初めのアメリカ・メキシコ戦争でメキシコ側についたアイルランド出身のカソリック教徒はこの旗を掲げて闘ったという。
またアイルランド独立戦争では、このフレーズがスローガンとなったが、この場合、意味は "Ireland be free " だ。
つまり、アイルランドの愛国心を一言であらわすフレーズだと解釈しよう。
今日でも、アイルランドのpubには "Erin go Braugh"
が壁に掲げられているという。同名のスコットランドの伝統曲もあり、透明な空のもとアイルランドの自然の中を流浪する雰囲気の歌だ。
というわけで、今回のアイルランドの旅のテーマは "Erin go Braugh" がふさわしい。
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